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インド洋
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6.歴史
6.7.オマーンによる覇権
17世紀初頭にはオマーンヤアーリバ朝が成立し、1650年にはオマーンの出入り口にあたる良港マスカット(マスカト)からポルトガルを追い出した。その後、オマーンはマスカットを拠点としてインド洋交易に乗り出し、ポルトガルと激しく争うようになった。特にオマーンが目標としたのは東アフリカの交易諸都市であり、各都市では両国の戦闘がしばしばおこるようになった。

1698年にポルトガルの支配拠点であったモンバサの要塞フォート・ジーザスがオマーンの攻撃により陥落し[28]、オマーンによるアラビアから東アフリカまでの交易支配権が確立するかに見えた。しかし、1720年代にオマーンで内戦が始まり、その勢力は一時弱まった。モンバサをはじめとするスワヒリ諸港はオマーン貴族のもと独立していったが、ザンジバルのみはオマーン本国の元にとどまり続けた。

やがてブーサイード族のアフマド・ブン・サイードがオマーンの支配権を確立し、ブーサイード朝を創設した。ブーサイード朝の第5代スルタンであるサイイド・サイードの時代に、オマーンは東アフリカに再び進出を開始する。1828年には親征を行って東アフリカ諸港を屈服させ[29]1830年代には東アフリカの覇権を確立した。1840年にはサイードはザンジバルタンザニア)にストーン・タウンを建設して居を移し、ザンジバルシティがオマーンの首都となった。しかし1856年にはサイードの死によって国はオマーンとザンジバル・スルタン国に分割され、さらに帆船の時代から蒸気船の時代へ移ると共にイギリスの勢力が強くなり、オマーン・ザンジバル両国ともに船団を失うとともにイギリスの保護国となっていった。これに伴い、インド洋交易は完全に西洋勢力の手に握られることとなった。

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出典:Wikipedia
2020/01/19 06:00
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2020/02/22 更新
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