アッバース朝
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概要
アッバース朝?????? ???????? al-Dawla al-‘Abb?s?ya)は、中東地域を支配したイスラム帝国第2の世襲王朝750年 - 1517年)。
イスラム教の開祖ムハンマドの叔父アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブの子孫をカリフとし、最盛期にはその支配は西はイベリア半島から東は中央アジアまで及んだ。アッバース朝ではアラブ人の特権は否定され、すべてのムスリムに平等な権利が認められ、イスラム黄金時代を築いた。
東西交易、農業灌漑の発展によってアッバース朝は繁栄し、首都バグダードは産業革命より前における世界最大の都市となった[1]。また、バグダードと各地の都市を結ぶ道路、水路は交易路としての機能を強め、それまで世界史上に見られなかったネットワーク上の大商業帝国となった。
アッバース朝では、エジプトバビロニアの伝統文化を基礎にして、アラビアペルシアギリシアインド中国などの諸文明の融合がなされたことで、学問が著しい発展を遂げ、近代科学に多大な影響を与えた。イスラム文明は後のヨーロッパ文明の母胎になったといえる。
アッバース朝は10世紀前半には衰え、945年にはブワイフ朝がバグダードに入城したことで実質的な権力を失い、その後は有力勢力の庇護下で宗教的権威としてのみ存続していくこととなった。1055年にはブワイフ朝を滅ぼしたセルジューク朝の庇護下に入るが、1258年にモンゴル帝国によって滅ぼされてしまう。しかし、カリフ位はマムルーク朝に保護され、1518年にオスマン帝国スルタンセリム1世によって廃位されるまで存続した。
イスラム帝国という呼称は特にこの王朝を指すことが多い。古くはヨーロッパ中心史観に基づき日本でもサラセン帝国と呼ばれたが、現在では一般的ではない。後ウマイヤ朝を西カリフ帝国、アッバース朝を東カリフ帝国と呼称する場合もある。
目次
1.歴史
├1.1.前史
├1.2.ザーブ河畔の戦い
├1.3.アッバース革命
├1.4.アッバース朝の最盛期
├1.5.衰退への道
├1.6.政治的混乱
├1.7.アッバース朝のイラク支配回復
└1.8.モンゴル襲来とバグダード・アッバース朝の滅亡
2.バグダード・アッバース朝の滅亡後
├2.1.カイロ・アッバース朝のカリフ存続
└2.2.カイロ・アッバース朝の滅亡
3.軍事
4.交通
5.農業
6.経済
7.イスラム科学
8.イスラム法学
9.文学
10.イスラム文明とヨーロッパ
11.歴代カリフ
├11.1.バグダード・アッバース朝
└11.2.カイロ・アッバース朝
12.系図
13.出典
14.参考書籍
15.関連項目
16.外部リンク
出典:Wikipedia
2020/01/12 14:30
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