サービス終了のお知らせ
アイオワ州
▼人気記事ランキング
1.歴史
1.2.探検と交易の時代(1673年-1808年)
この地域を訪れたことが記録されている最初のヨーロッパ人は、1673年ミシシッピ川の探検をしていたケベック出身のフランス人ルイ・ジョリエと、彼と行動を共にしたフランス人宣教師ジャック・マルケットだった。彼等はアイオワ側の岸にあった幾つかのインディアン集落について記録を残した[8][9]。アイオワを含む地域はフランス領とされ、1763年までフランス領ルイジアナと呼ばれた。フランスはフレンチ・インディアン戦争の敗色が濃くなったこの年に、同盟国であるスペインにルイジアナを譲渡した[10]。スペインはアイオワの地域に大変緩やかな支配しか行わず、フランス人やイギリス人の交易業者に交易の免許を与えたので、ミシシッピ川やデモイン川の岸に交易拠点が造られた[8]

ヨーロッパ人交易業者はインディアンから得られる鉛と毛皮に興味を抱いた。18世紀後半から19世紀前半にかけて、ソーク族やメスクワキ族がミシシッピ川流域の交易を事実上支配した。ヨーロッパ人交易業者にはジュリアン・デュビュークフランス語版英語版ロベール・ラ・サール、ポール・マランフランス語版英語版などがいた[8]。1808年以前にミズーリ川沿いには少なくとも5か所にフランス人とイギリス人による交易所ができていた[11]。1800年、フランスのナポレオン・ボナパルトサンイルデフォンソ条約で、スペインからこの地域の支配権を取り戻した。

1803年ルイジアナ買収の後、アイオワはアメリカ合衆国の支配下となった。1805年にゼブロン・パイクがアイオワ大半の地図を制作したが[12]、マディソン砦を建設したのは1808年になってからであり、アメリカ合衆国はようやくなんとか地域の軍事的支配を行うようになった[13]

~目次に戻る
出典:Wikipedia
2020/02/27 05:30
ソ人気記事ランキング
2020/02/28 更新
 1位日本
 2位羽生ありさ
 3位水野朝陽
 4位住吉会
 5位AV女優
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant