アンディ・ペティット
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1.経歴
1.3.アストロズ時代
2003年12月16日にヒューストン・アストロズと3年総額3150万ドルで契約を結んだ。ヤンキースでキャリアを全うすると考えられていたため、移籍は驚きを与えた。自宅がテキサス州にあることに加え、同年のシーズン21勝、ポストシーズン3勝という成績にもかかわらず、チームの引き止めへの熱意が薄いと感じたことが背景にあるとされる(当初のオファーは3年3000万ドルだった)。引き止めに失敗したヤンキースはケビン・ブラウンを獲得するなど、先発投手の緊急補強を強いられることになった。なお、ヤンキース時代のチームメートのロジャー・クレメンスも引退を撤回してアストロズへ移籍した。

2004年は左ヒジの故障で3回の故障者リスト入り(4月7日 - 4月29日5月27日 - 6月28日8月13日 - )した[6]。シーズン1回目の故障から復帰した4月29日のピッツバーグ・パイレーツ戦で通算150勝を達成したが[6]、シーズン通して6勝に終わり、連続2桁勝利は9年で途切れた。

2005年は17勝9敗・ロジャー・クレメンスに次ぐリーグ2位の防御率2.39を挙げ、27回(リーグ2位)のクオリティ・スタートを記録した[7]月間MVPの投手部門を7月と9月の2回受賞。7月には6試合に登板し、5勝0敗で球団史上3位なる防御率0.90を記録した[7]8月21日から9月20日にかけて自己最長タイとなる7戦7勝を記録した[7]。球団史上初のワールドシリーズ進出に貢献し、カムバック賞の最終候補にノミネートされた[7]

2006年は自己最多タイの35試合に先発登板し、14勝を記録したが、自己最低の13敗。チームはセントルイス・カージナルスに1.5ゲーム差でプレーオフ進出はならなかった。シーズン最初の登板となった4月4日フロリダ・マーリンズ戦で10失点(自責点7)で昨年からの連勝は7で途切れた[8]。4月、5月、6月と3か月連続で月間防御率が5点以上だったが、8月は防御率2.27でリーグ最多の49奪三振を記録した。[8][9]

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(1.2.プロ入りとヤンキース時代)
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(1.4.ヤンキース復帰)
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出典:Wikipedia
2020/01/19 16:01
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