アレクサンドロス4世
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3.内乱
この決定に不満を抱いたカッサンドロスは、プトレマイオスアンティゴノス、ピリッポス3世の野心的な妃エウリュディケと同盟し、摂政の名の下にポリュペルコンと対峙した。対してポリュペルコンはエウメネス、アレクサンドロス大王の母オリュンピアスと同盟した。

ポリュペルコンは初めギリシア諸都市の確実な支配に成功したが、紀元前318年、彼の艦隊がアンティゴノスにより打ち破られると、カッサンドロスはマケドニアの完全なる支配権を手中にし、ポリュペルコンはイピロスへの逃亡を余儀なくされた。ロクサネとアレクサンドロス4世はその後に続いた。数ヶ月後、エピロス王家出身のオリュンピアスの説得により、エピロス王アイアキデスはポリュペルコンと共にマケドニアに侵攻した。

オリュンピアスが戦場に赴くと、エウリュディケの軍は大王の母后と戦うことを拒んでオリュンピアスに寝返り、この間にポリュペルコンとアイアキデスはマケドニアを奪還した。ピリッポス3世とエウリュディケは捕えられて紀元前317年12月25日に処刑され、オリュンピアスがアレクサンドロス4世の摂政として実権を握った。

紀元前316年ペロポネソス半島より戻ってきたカッサンドロスは再度マケドニアを征服した。オリュンピアスはすぐに処刑され、同時にロクサネとアレクサンドロス4世は、グラウキアスの監視下にアンフィポリスの要塞に軟禁された。紀元前311年、カッサンドロス、プトレマイオス及びリュシマコスの三者とアンティゴノスとの間に講和が成立し、第3次ディアドコイ戦争が終結したときの盟約の中で、アレクサンドロス4世の権利は承認され、成年に達したときにカッサンドロスの後継者として統治者になることが定められた。

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出典:Wikipedia
2019/09/07 19:01
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