アレクサンドロス4世
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2.摂政たち
摂政ペルディッカスは厳格な摂政政治を行ったが、他の遺将達(ディアドコイ)との対立を深め、反対派を倒そうとエジプト遠征を行うも失敗した。それを機に起こった兵士たちの反乱ののち、紀元前321年或いは紀元前320年の5月か6月に、セレウコスはじめとする部下の将軍達の裏切りによりペルディッカスは暗殺された。残ったディアドコイによりトリパラディソスの軍会が開かれ、アンティパトロスが新しい摂政とされた。

アンティパトロスは、アレクサンドロス帝国全体を支配するという建前をあきらめ、太守(サトラップ)の支配下にそれまで属州であったエジプトアジアを放置して、支配権を太守達に委ねることにした。そして自らはピリッポス3世、アレクサンドロス4世の2人の王とロクサネとともにマケドニア本国に戻った(ディアドコイ戦争参照)。

紀元前319年、アンティパトロスはその死に際し息子であるカッサンドロスを措いて、ピリッポス2世とアレクサンドロス大王に仕えた将軍ポリュペルコンを後継者とした。

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出典:Wikipedia
2019/09/07 19:01
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