アヤラ・コーポレーション
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1.歴史
1.5.エンリケ・J・ソベル時代
1965年にはジョセフ・マクミーキンの跡をエンリケ・J・ソベル(1927-2004)が継ぎ、第8代アヤラ家当主となった[11]。1968年にはアヤラ商会からアヤラ・コーポレーションに改称し、共同経営方式から株式会社に移行した[11]。株式の一部は従業員に公開し、持家制度や福利厚生制度の充実などもあって従業員の士気高揚に役立った[11]。ジョセフ・マクミーキンの代にアヤラ家はフィリピン最大の財閥に飛躍を遂げたが、エンリケ・J・ソベルの代にはさらに急拡大した[11]。1968年のアヤラ・コーポレーションの総資産は1億3,200万ペソだったが、1984年には23億3300万ペソ(約1.2億米ドル)に、総収入は同期間に1,300万ペソから8億3,000万ペソに、飛躍的に増加している[11]
1974年には日本の三菱グループ三菱商事三菱地所三菱信託三菱銀行)から20%の資本参加を受け入れ、農水産業・製造業・貿易などへのさらなる事業の拡大を図った[11]。1972年にマルコス大統領が財閥解体を唱えた際、アヤラ家は大統領への協力を約束して難を逃れたが[12]、日本の超一流財閥を提携先に選んでいたことも政権からの攻撃を回避するのに有利に働いたとされる[11]。しかし、エンリケ・J・ソベルは1980年頃からマルコス大統領に批判的な姿勢を取るようになった[12]。また、サン・ミゲルの経営方針をめぐってエンリケ・J・ソベルとアンドレス・ソリアーノ2世が対立[12][13]。これらの理由から1983年にはエンリケ・J・ソベルが引退し、ハイメ・ソベル(1934-)がアヤラ家当主となったが[10]、この背後には先代のジョセフ・マックミキンとメルセデス・ソベルの圧力があったとされている[13]
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(1.4.ジョセフ・マクミーキン時代)
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(1.6.ハイメ・ソベル時代)

10. 榊原芳雄 1994, p. 50.
11. 井上隆一郎 1994, p. 306.
12. 井上隆一郎 1994, p. 302.
13. 福島光丘 1990, p. 95.

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出典:Wikipedia
2017/12/25 00:33
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