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7.国際関係
7.2.日本との関係
いわゆる「黒船来航」で始まった日米関係は日本が鎖国から脱する端緒ともなった。明治維新を経た日本は生糸の輸出を中心に米国との経済関係を深めたが、20世紀に入ると黄禍論の高まりや中国大陸での権益を巡って日米関係は次第に冷え込み、最終的に太平洋戦争で総力戦を戦った。日本の敗戦後、米ソ冷戦を背景に日米同盟が結ばれ、政治・経済・軍事・文化など多方面で主に米国主導の密接な関係を築いている。

日米交流の始まり


1797年(寛政9年)にオランダ東インド会社バタヴィアで傭船契約を結んだアメリカの船の多くは、セイラムから日本に向けて出航した。そして、1799年にオランダ東インド会社が解散してもなお、日米貿易は1808年(文化6年)まで続いた。ただし、その日米貿易は日本とオランダ商館との関係に配慮した特殊なものであった。アメリカ船が長崎に入港する際は、1795年に滅亡したオランダ(ネーデルラント連邦共和国)の国旗を掲げてオランダ船を装うよう、すでに雇い主を失っていたオランダ商館から要請された。日本に向けられたアメリカ船は次の通り[65]
1797年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のイライザ号。
1798年、同上。
1799年、ジェームズ・デブロー船長のフランクリン号。
1800年、ウィリアム・V・ハッチングス船長のマサチューセッツ号。
1800年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のエンペラー・オブ・ジャパン号。
1801年、ミッシェル・ガードナー・ダービー船長のマーガレット号。
1802年、ジョージ・スティルス船長のサミュエル・スミス。
1803年、ジェームズ・マクニール船長のレベッカ号。
1803年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のナガサキ号。
1806年、ヘンリー・リーラー船長のアメリカ号。
1807年、ジョセフ・オカイン船長のエクリブス号。
1807年、ジョン・デビッドソン船長のマウント・バーノン号。
1809年、ジェームズ・マクニール船長のアメリカレベッカ号。

黒船来航と国交樹立


19世紀に日本で明治維新を起こすきっかけの一つとなった、1854年2月のアメリカ海軍のマシュー・ペリー提督率いる「黒船」の来航を経て、同年3月に日米和親条約を締結し正式な国交を樹立した。その後1859年6月に日米修好通商条約を結んだことにより、両国間の本格的な通商関係も開始された。 1871年(明治4年)12月から翌年7月まで特命全権大使・「岩倉使節団」が、アメリカ大陸を「ユニオン・パシフィック鉄道」、「ペンシルバニア鉄道」を使って横断している。その主なルートはサンフランシスコ港-サクラメント-ソルトレイク・シティ-シカゴ-ワシントン-フィラデルフィア-ニューヨーク-ボストン港であり、当時の様子が、「米欧回覧実記」に克明に記されている[66]。(一部イラスト有)。

緊密化と開戦


その後20世紀に入り、日露戦争の後の1905年9月に行われたポーツマス条約締結時の仲介などを経て、両国間においての貿易、投資や人事的交流が急増するなどその関係を深める。第一次世界大戦時には、イギリスなどとともに連合国同士としてドイツに対して共に戦った。
しかしその後アメリカでは、急速にその存在感を増す日本に対しての、黄色人種に対する人種差別的感情を元にした警戒感が強まった。1930年代に行われた日本の中国大陸進出政策に対するフランクリン・D・ルーズヴェルト政権による反発や、第二次世界大戦勃発後の1940年6月にフランスのヴィシー政権ドイツと休戦したことに伴い、日本軍が仏領インドシナに進出したことに対して不快感を示し、同政権が対日禁輸政策を取るなどその関係は急速に冷え込んだ。アメリカ国務省のスタンリー・クール・ホーンベックは日中が泥沼の戦いを続ける事がアメリカの利益だと述べている[67]
アメリカもフィリピンを武力で植民地化していたが、日本に対して中国大陸に保有する全ての権益放棄と最終的な撤兵を要求するハル・ノートによって両国関係は修復不能になり、1941年12月7日日本海軍により行われたハワイオアフ島にあるアメリカ軍基地に対する攻撃、いわゆる「真珠湾攻撃」以降、日米両国は枢軸国連合国に別かれ敵対関係になり、太平洋戦争において戦火を交えることになった。

日米安全保障体制の構築


1945年8月の日本の連合国に対する敗戦に伴い連合国の主要な占領国として参加し、1951年9月に交わされたサンフランシスコ講和条約の発効までの間、イギリスやフランスなどの連合国とともに日本の占領統治を行った。
以降2国間で日米安全保障条約を締結して旧ソ連や中華人民共和国などの軍事的脅威に対して共同歩調をとり続けるなど、友好的な関係を築いている。日本にとって、アメリカは安全保障条約を正式に結んでいる唯一の国でもある(アジアには集団安全保障体制が存在せず、中華民国や大韓民国などの中華人民共和国と北朝鮮を除く各国が個別に、アメリカと安全保障条約関係を締結している)。

冷戦後の日米関係


冷戦が終結した現在も日米関係は国際政治や経済活動において米国の強い主導化のもとに、両国間の貿易や投資活動はその規模の大きさから両国経済だけでなく世界経済に大きな影響力を持つ。2006年10月に発生した北朝鮮の核実験における対応や、同国による日本人拉致事件でもある程度共同歩調をとっているが、アメリカの北朝鮮への援助が北朝鮮の核保有後も繰り返されている。2007年7月30日、アメリカ合衆国議会は、日本政府によって慰安婦にされたとする者への謝罪や歴史的責任などを要求するとしたアメリカ合衆国下院121号決議を出している。日本は韓国や中国に対する賠償問題は全て解決済みとの立場であり、応じていない。

日本の常任理事国入り


ジャーナリストの手嶋龍一麻生太郎元首相との対談の中で、ブッシュ政権が日本の常任理事国入りを可能にする案を提示しなかったため、事実上これによって日本の常任理事国入りは潰されたと述べた[68]。一方で国際問題評論家の古森義久は、アメリカは日本一国だけの常任理事国入りを支持していたが日本に加えドイツ、ブラジル、インドも常任理事国入りするG4案は安保理全体の大幅拡大が前提となるため、これに否定的なアメリカが反対したのは明白だったはずで、この小泉内閣の誤算がアメリカの支援を失ったと指摘している[69]

日本への100兆円規模の拠出要求


福田康夫総理大臣はアメリカ政府から、サブプライム住宅ローン危機による資金不足に対応するため、日本がアメリカのために100兆円規模の資金を拠出するように要求されていたが、理不尽な要求として拒否した[70]

在沖縄海兵隊のグアム移転


米軍海兵隊のグアム移転経費の日本側負担額について、アメリカは2006年に合意した28億ドルの1.5倍にあたる42億ドルを要求[71]。また、アメリカが負担することで合意していた米軍関連施設の一部の建設費約820億円を日本が負担するよう要求している[72]
移転経費について日本側は、移転する海兵隊が8千人から4千人に半減することから難色を示していたが、2012年4月に両政府は条件付きながら28億ドルとすることで合意した[73]

原発ゼロ政策への圧力


2012年9月5日、2030年代に原発ゼロを目指す政府方針を説明した藤崎一郎駐米大使に対し、エネルギー省のポネマン副長官は「日本の主権を尊重する」としながらも「くれぐれも外圧と取られないように注意してほしい。この協議は極めて機密性の高いものだ」と発言。翌6日にはアメリカ国家安全保障会議(NSC)のフロマン補佐官が藤崎大使に対し、「エネルギー政策をどのように変えるかは、日本の主権的な判断の問題だ」としながらも「プルトニウムの蓄積は、国際安全保障のリスクにつながる」と強い懸念を表明するなど、アメリカ側は原発ゼロ政策の閣議決定回避へ圧力を強めた。19日、政府は原発ゼロ政策の閣議決定を見送った[74]。日本共産党はアメリカの日本の原発政策に対する各種言動を内政干渉と強く批判している[75]

問題点


日米安全保障体制の下で日本が自主外交に消極的であったことや、冷戦時代にアメリカが起こしたベトナム戦争や、存在しないイラクの大量破壊兵器保有を理由に開戦したイラク戦争などにおいて、嘉手納基地横田基地などの日本国内のアメリカ軍基地が出撃基地として利用されてきたこと、日本国内のアメリカ軍基地周辺において在日アメリカ軍兵士による日本人女性に対するレイプ強盗、殺人事件が多発しているが、日米地位協定により日本側に被疑者の身柄の拘束を最初に行うことが拒否されるケースがあることなどから、日米関係に対する批判も存在する。現在、地位協定の改善に向けて協議が進んでいる。外務事務次官・駐米大使を歴任した村田良平はアメリカの日本に対する在日米軍負担要求について、米軍の沖縄駐留はすべてアメリカ側都合で決定したものであるため筋違いであると述べている[76]
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(8.地理)

65. 東京都江戸東京博物館1999年発行「日米交流のあけぼの‐黒船きたる‐」
66. 久米邦武 編『米欧回覧実記・1』田中 彰 校注、岩波書店(岩波文庫)1996年
67. 須藤眞志 ハルノートを書いた男 文藝春秋、1999年、68頁。
68. http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060630.html
69. 第12回 惨憺たる結果に終わった小泉政権の国連外交 〜常任理事国入りを急ぐより、国連改革圧力を強めよ〜SAFETY JAPAN 2006年12月5日
70. 浜田和幸 「大恐慌」以後の世界 光文社、2008年、228頁。
71. http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012031700157
72. http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201203250065.html
73. “グアム移転、負担増えず 米軍再編、日本が米と合意”. asahi.com (朝日新聞社). (2012年4月19日). オリジナルの2012年6月11日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120611030029/http://www.asahi.com/special/futenma/TKY201204180869.html 
74. “原発ゼロ 閣議決定回避 米、外圧批判恐れ口止め”. 東京新聞 (中日新聞社). (2012年10月20日). オリジナルの2012年10月21日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20121021211943/http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012102090070453.html 
75. “主張 「原発ゼロ」見送り 財界とアメリカの圧力が元凶”. しんぶん赤旗 (日本共産党). (2012年9月25日). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-09-25/2012092501_05_1.html 
76. 村田良平 『村田良平回想録 下巻』 ミネルヴァ書房、2008年、124頁。

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出典:Wikipedia
2017/10/25 10:31
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