ヴィスコンティ家
▼人気記事ランキング
1.主な人物
ローマ教皇。グレゴリウス10世(教皇在位1271年 - 1276年)。 1262年からミラノ大司教を務め、1277年にミラノのシニョーレ(僭主、藩主)になる(シニョーレの在位年(以下『在位』とのみ表記):1277年 - 1278年、1282年 - 1295年[2])。ミラノがローマ帝国からの独立性を強めた時期である。
マッテーオ・ヴィスコンティ1世(en)(1250年 - 1322年)
オットーネの甥の息子。ミラノ僭主(在位:1287年 - 1302年1311年 - 1322年)。彼の弟ウーベルトの16代目子孫が有名な映画監督のルキノ・ヴィスコンティである。
ガレアッツォ・ヴィスコンティ1世(1277年 - 1328年)
マッテーオ1世の息子。ミラノ僭主(在位:1322年 - 1327年)。
アッツォーネ・ヴィスコンティ(en)(1302年 - 1339年)
ガレアッツォ1世の息子。ミラノ僭主(在位:1329年 - 1339年)。
ジョヴァンニ・ヴィスコンティ1世(1290年? - 1354年)
ガレアッツォ1世の弟。ミラノ僭主(在位:1339年 - 1354年)。ミラノ大司教(在位:1342年 - 1354年)。
ルキーノ・ヴィスコンティ1世(1287年? - 1349年)
ガレアッツォ1世、ジョヴァンニ1世の弟。ミラノ僭主(在位:1339年 - 1349年)。
マッテーオ・ヴィスコンティ2世(1319年?-1355年)
ガレアッツォ1世とジョヴァンニ1世の弟ステーファノの息子。ミラノ僭主(在位:1354年 - 1355年)。
ガレアッツォ・ヴィスコンティ2世(1321年 - 1378年)
マッテーオ2世の弟。ミラノ僭主(在位:1354年 - 1378年)。
ベルナボ・ヴィスコンティ1世(1323年 - 1385年)
マッテーオ2世、ガレアッツォ2世の弟。ミラノ僭主(在位:1354年 - 1385年)。
ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1351年 - 1402年)
ガレアッツォ2世の息子。1386年ミラノ大聖堂の建設に着手。1395年神聖ローマ皇帝ヴェンツェルにより、はじめてミラノ公の称号を得る。ヴィスコンティ家の絶頂期である(在位:1378年 - 1395年、公爵在位:1395年 - 1402年)。
ジョヴァンニ・マリーア・ヴィスコンティ(1388年 - 1412年)
ジャン・ガレアッツォの息子。1402年、母の摂政の下でミラノ公となった(在位:1402年 - 1412年)。
フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ(1392年 - 1447年)
ジョヴァンニ・マリーアの弟で、1412年兄が暗殺され、ミラノ公となる(在位:1412年 - 1447年)。フィリッポの死後はスフォルツァ家にミラノの支配権が移る。 フィリッポ・マリーアの娘。傭兵隊長のフランチェスコ・スフォルツァと結婚。
ルキノ・ヴィスコンティ:20世紀イタリアの著名な映画監督。
[6]次ページ
(3.関連項目)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2018/11/25 10:00
ソ人気記事ランキング
2019/09/22 更新
 1位日本
 2位逆鉾昭廣
 3位9月21日
 4位清須会議 (小説)
 5位プレーオフ
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant