ヴァルナの戦い
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3.戦後
3.2.ヴワディスワフ3世生存説
ヴワディスワフ3世の死の状況については伝承が残るのみで、本当に戦死したのかどうかは常に議論が交わされている。というのも、トルコ側は王の首を取ったと主張したものの、王の遺体やその着衣や鎧など、王を示す遺物はまったく発見されていなかったからである。

当時のポーランドの中央政界では、貴族たちによる合議制の政治(黄金の自由)が行われ、王個人はほとんど何の政治的権限も持っていなかった。ポーランドではヴワディスワフを支持する勢力とその弟カジミェシュを支持する勢力とに分かれており、ヴァルナでの敗戦は帰国後のヴワディスワフの身辺を危うくする可能性があった。

ポルトガルに伝わる伝説では、ヴワディスワフは一時的にスルタンの捕虜になったのち、すぐに解放されてエルサレム巡礼に出かけ、その後ポーランドには戻らずにアフォンソ5世のポルトガル王室の援助でマデイラ島のジラン岬一帯に領地を提供され、シナイ山の聖カタリナ騎士団に加わり、そこでポーランドにおける自身の支持者たちや、ポルトガルやスペインなど南欧の王室からの保護を受けながら、信仰生活を送ったとされる。マデイラ島の聖カタリナ・マグダラの聖マリア教会は、ヴワディスワフが1471年に建立し、死後に埋葬された場所とされる。

ヴワディスワフ3世はマデイラ島で、現地のポルトガル女性との間に王子をもうけたとされるが、その王子というのがクリストファー・コロンブスである、という説が近年、アメリカデューク大学の歴史学者マヌエル・ロサによって提起されており、数多くの間接的証拠が示されている。ポーランド政府にはヴワディスワフ3世の父ヴワディスワフ2世とコロンブスのDNAの比較鑑定の依頼が行われる予定である。

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出典:Wikipedia
2019/11/10 09:01
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