ロンドン
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1.歴史
1.5.近現代
1831-1925年頃、ロンドンは世界最大の都市であった[65]。著しく高い人口密度によりコレラが大流行し[66]1848年に14,000人が死亡、1866年には6,000人が死亡した。特に、1854年8月の大流行は『ブロード街の12日間』というノンフィクションにまとめられている。1855年に、首都建設委員会が設立される。渋滞が増加し、首都建設委員会はインフラ整備を監督した。世界初の公共鉄道ネットワークであるロンドン地下鉄が開通している。首都建設委員会は1889年にロンドン郡議会になり、ロンドン最初の市全域を管轄する行政機構として機能した。第二次世界大戦時、ザ・ブリッツを始めとするドイツ空軍による空爆により、30,000人のロンドン市民が死亡し、市内の多くの建築物が破壊された。終戦直後の1948年ロンドンオリンピックが初代ウェンブリー・スタジアムにて開催され、同時に戦後復興をわずかに果たした。

1951年、フェスティバル・オブ・ブリテンがサウス・バンクにて開催された。1952年ロンドンスモッグの対応策として大気浄化法 (1956)が掲げられ、「霧の都」と揶揄されたロンドンは過去のものとなったが、大気汚染の問題は未だに残されている[67]1940年代以降、ロンドンには大量の移住者が流入した。多くはイギリス連邦加盟国の出身者である。内訳としてはジャマイカインドバングラデシュおよびパキスタン出身者で、ロンドンに欧州屈指の多様性をもたらす要因となっている。

主として1960年代半ば以降、ロンドンは世界的なユースカルチャーの中心地となっていった。キングス・ロードチェルシー、カーナービーストリートといった地域ではスウィングロンドンと言ったスタイルが流行した。流行の発信拠点としての役割は、パンク・ロックの時代に復活し1965年、ロンドンの都市的地域の拡大に伴い、管轄範囲を拡大したグレーター・ロンドン・カウンシルが設立された。北アイルランド問題に関連し、ロンドンではIRA暫定派による爆破事件が発生した。1981年のブリクストン暴動では、人種差別問題が注目を集めた。第二次世界大戦以後、グレーター・ロンドンの人口は次第に減少していった。ピーク時の1939年の推計人口が8,615,245人だったのに対し、1980年代では約6,800,000人に減少していた。ドックランズカナリー・ワーフ再開発事業に伴い、ロンドンの主要港は下流に位置するフェリクストウ港やティンバリー港に移転した。また、カナリー・ワーフ再開発事業により、ロンドンの国際的な金融センターとしての役割は増加の一途をたどった。

1980年代、高潮による北海からの海水の流入を堰き止め、洪水を防止するテムズバリアが完成した。1986年、グレーター・ロンドン・カウンシルが廃止され、ロンドンは世界で唯一、中央行政機関が存在しない大都市となった。2000年、グレーター・ロンドンを管轄するグレーター・ロンドン・オーソリティーが設立された。ミレニアム記念事業の一環として、ミレニアム・ドームロンドン・アイミレニアム・ブリッジが建設された。2005年ロンドン同時爆破事件が発生し地下鉄車両とバスが爆破された[68]2012年第30回オリンピックが開催された。1908年1948年に次ぐ3度目のオリンピック開催であり、同一都市としては史上最多となる。

アメリカのシンクタンク2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界1位の都市と評価された[69]

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出典:Wikipedia
2018/08/18 15:30
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