ロンドン
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1.歴史
1.4.近世
テューダー朝の時代、宗教改革に伴うプロテスタントへの移行が次第に進むにつれ、教会の私有化が進んだ[51]ネーデルラント周辺地域へは未加工のウール生地が海上輸出された。生地の主たる用途は、大陸ヨーロッパの富裕層向けの衣服であった。しかし、当時のイギリスの海運会社は北西ヨーロッパ以外の海にはほとんど進出しなかった。イタリア地中海への商業ルートは、通常アントウェルペンまたはアルプス山脈経由であった。海上輸送ではイタリアやドゥブロヴニクの貿易商と同様、ジブラルタル海峡を経由した。1565年オランダとイギリス間の貿易再開は、瞬く時に活発な商取引をもたらした[52]1566年、王立取引所が設立された。重商主義は進展し、イギリス東インド会社を初めとする勅許会社が設立され、貿易は新世界へと拡大した。ロンドン港は北海において重要性を増し、国内外から移住者が来航した。1530年の人口は推計で50,000人、1605年には225,000人に上昇した。

16世紀ウィリアム・シェイクスピアや同時代に生きたロンドンの劇作家は、イギリス・ルネサンス演劇を始めとして劇場の発展にしのぎを削った。テューダー朝が終わりを告げる1603年まで、ロンドンはまだ非常に小規模な都市であった。1605年ジェームズ1世の暗殺計画を企てた火薬陰謀事件が発生した[53]17世紀初頭や1665-1666年にはペストが流行し[54]、100,000人または人口の5分の1が死亡した[55]1666年、シティのプディング・レーンにてロンドン大火が発生し、市内の家屋の約85%が焼失した[56]。建築家ロバート・フック指揮の下[57][58][59]、ロンドン再建に10年の歳月を要した。1708年クリストファー・レンの最高傑作であるセント・ポール大聖堂が完成した。ハノーヴァー朝の時代には、メイフェアを始めとする新市街が西部に形成され、テムズ川には新たな橋が架橋され、南岸の開発が促進された。東部では、ロンドン港がテムズ川下流のドックランズに向かって拡張された。

1762年ジョージ3世バッキンガム・ハウスを手中に収め、以後75年間に渡って同邸宅は拡張を続けた。18世紀、ロンドンの犯罪率は高く、1750年にはロンドン最初の専業の警察としてバウストリートランナーズ[60]が設立された。総計で200件以上の犯罪に死刑判決が下され[61]、小規模な窃盗罪でも女性や子どもが絞首刑に処された[62]。ロンドンで生まれた子どもの74%以上は5歳未満で死亡していた[63]コーヒー・ハウスが意見を交わす社交場として流行したのに伴い、リテラシーの向上やニュースを世間一般に広める印刷技術が向上し、フリート・ストリートは報道機関の中心地となっていた。

1777年サミュエル・ジョンソンによる言葉を記す。「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与えうるもの全てがあるから。」[64]

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出典:Wikipedia
2018/08/28 18:00
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