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ローレンス・ドハティー
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1.来歴
ローレンスとレジナルドの「ドハティー兄弟」は、1897年から1906年まで「10年連続」ウィンブルドン選手権の男子ダブルス決勝に進み、1902年1906年の2度敗れたのみで、通算「8勝」を記録した。先に兄のレジナルドが1897年から1900年までウィンブルドン選手権のシングルスに「4連覇」を達成したが、その間の1898年に決勝でローレンスとレジナルドの“兄弟対決”があり、ローレンスは兄に敗れたことがある。1901年にレジナルドの連覇記録が止まった後、弟のローレンスは1902年から1906年までウィンブルドン選手権のシングルス「5連覇」を達成した。1902年から1906年まで、ドハティー兄弟はシドニー・スミス&フランク・ライスリー組と5年連続で男子ダブルスの決勝対決をしている。ドハティー兄弟は「兄弟2人でウィンブルドンのシングルス9勝」を樹立した兄弟テニス選手として、テニス競技の初期に名前を刻んだ。

ドハティー兄弟はウィンブルドン選手権のみならず、海外遠征にも積極的であった。1900年パリ五輪では、ローレンスは男子シングルスと、兄弟のダブルスの2部門で金メダルを獲得した。全米選手権にも遠征し、ダブルスでは1902年1903年に2連覇を達成する。ローレンスは1903年にシングルスでも優勝を飾ったが、この時の決勝戦では、前年度の決勝でレジナルドを破ったウィリアム・ラーンドと対戦した。ローレンスは 6-0, 6-3, 10-8 でラーンドを破り、兄の“敵討ち”に成功した。

ドハティー兄弟は2人とも早逝し、先に兄のレジナルドが1910年12月29日に38歳で亡くなった。弟のローレンスも1919年8月21日に43歳で死去した。1980年、兄弟は2人揃って国際テニス殿堂入りを果たしている。

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(2.主な成績)
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出典:Wikipedia
2018/10/28 22:01
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