レズビアン
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3.歴史
3.1.日本における歴史
日本におけるレズビアンの歴史は、男性の男色文化などと比べると未解明な部分が多い。女性同士の性愛が文学の主題となり得なかった理由のひとつとして、近代的な女性作家が成立する近世以前には、創作活動が男性の占有物だったというジェンダーに由来する問題があったことや、女性が結婚以外の性を堂々と謳歌することが貞操という観念によって封じられたことが考えられる[17]

女性作家が活躍する余地のあった13世紀に、日本で最初の女性同士の性愛を明示的に描いた宮廷文学『我身にたどる姫君』が成立しているが、作品に登場する女性たちには「男に娶られたい」という願望と女性同士の性愛が矛盾無く並立しており、近代的な性指向のカテゴリーから言えばレズビアンと言うよりもクィアに近い[17]。男性の衆道と同様に、前近代の女性の性愛は、自らのセクシャリティを規定する事無くヘテロセクシャルホモセクシュアルの間を自由に行き来していたと考えられる[17]

江戸時代には女装した若衆を買う女性が少なからずおり、葛飾北斎鳥橋斎栄里鈴木春信歌川国麿と言った浮世絵師が女性同士の性交の春画を描いた。古川柳にも女性同士の恋愛を詠んだものがたくさんあった[18]。また女牢の中では日常的に同性愛が行われており、料理屋の裏で同性愛にふける女性たちもいた。大奥遊女の間でもあったという。例えば大奥老女絵島が侍女の紅葉を寵愛したのが有名である[18]。こうした江戸期のレズビアンは、近代のレズビアン文学に影響を与えたとされる[19]

明治になって西欧キリスト教文化や精神医学が流入してきたことにより、レズビアンは否定されるが、女学校、工場、病院、妓樓、監獄など女性のみの集団の中では続いたとされる[18]。明治30年代の中村小時のように、女性でありながら男装して妾を持ち豪遊した人物もいる[20]

20世紀に入ると、日本の資本主義社会の発展による自由・退廃の文化と女性の権利向上により、文学上の表現などで復活し、田村俊子吉屋信子宮本百合子などがレズビアンを思わせる人物が登場する小説を著した。また現実世界でも、平塚らいてうと尾竹一枝、宮本百合子と湯浅芳子、吉屋信子と門馬千代といった著名人の女性同士の関係が登場していた。また1908年から1910年までの情死501件中、女性同士は18件(0.04%)あり[18]、特に1911年新潟県親不知海岸で起きた女学校卒業生同士の心中が報道された結果、それまで男色を中心とした男性中心の同性愛への注目から女性中心の同性愛へと認識が転換したとされる(詳しくはエス (文化)を参照のこと)。同時にこの頃から、同性愛を異常視する「変態性欲」の考え方が一般化し、レズビアニズムの変態カテゴリー化が進行した。これは1970年代まで続くことになる[19]

その後1971年に日本初のレズビアンサークル「若草の会」が登場した。アパートで月1回の集会があり、1回に2・30人が集まったという。会員は5年間で延べ500人になり会誌も発行された。「若草の会」は15年間続き、分派して他のグループを作ったものもいた。また1976年発行の「すばらしい女たち」を皮切りに、1978年には「ザ・ダイク」や「ひかりぐるま」、1982年には「レズビアン通信」とミニコミ誌が次々と作られる。1987年には日本初のレズビアン事務所「れ組スタジオ・東京」が開設された。

1992年には公に出版された日本で初めてのレズビアン・ゲイの情報ガイド『ゲイの贈り物』が発売された。同年には東京国際レズビアン&ゲイ映画祭がスタートし、1994年には東京レズビアン・ゲイ・パレードが行われた[21]

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出典:Wikipedia
2020/01/13 15:00
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