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ルイス・ハミルトン
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概要
ルイス・カール・デビッドソン・ハミルトンLewis Carl Davidson Hamilton, MBE 1985年1月7日 - )は、イギリスハートフォードシャー州東イングランドスティーブニッジ出身のレーシングドライバーグレナダ出身のアフリカ系イギリス人の父親とイングランド人の母親を持つ。2008年マクラーレンで当時の史上最年少でF1ワールドチャンピオンを獲得し[1]、同年のローレウス世界スポーツ賞の年間最優秀成長選手賞を受賞[2]、および大英帝国勲章(MBE)を叙勲。

生い立ち[編集]

1985年1月7日イギリスハートフォードシャーでアフリカ系イギリス人の父親アンソニー・ハミルトンと、白人系イギリス人のカーメン・ラーバレスティアの2人の長男として誕生した[3]。「ルイス」という名前はオリンピックメダリストのカール・ルイスからとった[4]。父方の祖父は1950年代にグレナダからイギリスに移住してきた移民である[4]

両親は2歳の時に離婚したため、10歳になるまで母親のカーメンと暮らし、その後父アンソニーの後妻のリンダ・ニコラスの家に引っ越した[5]。6歳の時にアンソニーに買ってもらったラジコンカーで大人も混ざったラジコン大会で2位という成績を収め、アンソニーが息子にはモータースポーツに通ずる才能があるのではないかと考えたという[6]。同年のクリスマスプレゼントとしてカートをプレゼントした[7]。ほぼ同時期にいじめから自分を守るために空手を始めている[8]ジョン・ヘンリー・ニューマン校に在学したハミルトンは、レーシングカートに励む一方で所属する学校のサッカーチームやクリケットにも同様の熱意を向けていたという[8]。2001年の2月からは、ケンブリッジ大学の芸術科学を専攻している[9]

初期の経歴[編集]

カート[編集]

1993年、8歳でレーシングカートを始める。2年後の1995年、10歳の時にイギリスカートチャンピオンを獲得したのを皮切りに幾つかのタイトルを獲得。この年のオートスポーツ・アワードの授賞式で当時マクラーレン代表のロン・デニスに自ら歩み寄り「あなたの車に乗ってワールドチャンピオンになりたい」と言ったが、デニスはハミルトンのサイン帳に「9年後にまたおいで」と書いたという[10]。しかし、その後の活躍に注目したデニスから3年後にはコンタクトがあり[10]、1998年にはマクラーレンと長期契約を交わした。以後、同チームによる支援の下でキャリアを重ねることとなり、早期から「マクラーレンの秘蔵っ子」として名を知られるようになった。2000年にはフォーミュラAクラスでヨーロッパカートチャンピオンとなり[11]ツインリンクもてぎ北ショートコースで行われた「アイルトン・セナ メモリアルカップ CIK-FIA WORLD CUP Shell ADVANCE KART RACE IN JAPAN」のフォーミュラAクラスでも優勝[11]

2001年はCIK-FIA カート世界選手権にフォーミュラスーパーAクラスからエントリーし、スポット参戦していたミハエル・シューマッハにも高く評価された[12]

ジュニアフォーミュラ[編集]

2001年は、CIK-FIA カート世界選手権と共にイギリスフォーミュラ・ルノー冬季シリーズにも参戦し、ランキング7位[13]

2002年は同選手権のレギュラーシリーズに参戦。3度のポールポジションと3度の優勝を記録し、ランキング3位[11]

2003年は同選手権を独走し、10勝を上げ、最終戦まで2ラウンド(4レース)を残し、チャンピオンに輝いた[11]。この年はF3マカオGPにも出場した[14]

F3[編集]

2004年はマノー・モータースポーツからフォーミュラ3・ユーロシリーズに参戦。初年度は1勝、ランキング5位[15]。マカオGPでも総合14位と不本意な成績に終わった[16]。その後の「バーレーン・スーパープリ」では優勝を飾っている[11]。また、シルバーストンで行われたマクラーレンのテストに参加し、初めてF1カーを運転した[17]

2005年はASMに移籍すると、20レース中15勝を上げてチャンピオンに輝き[11]、各国F3の強豪が集うマールボロ・マスターズを制した[11]

GP2[編集]

2006年前年度チャンピオンのニコ・ロズベルグがF1へ昇格したことを受け、その後任としてARTグランプリからGP2に参戦。開幕戦のサンマリノではセーフティカーを抜き失格となったが、ポール・トゥ・ウィンを飾ったモナコでの1勝を加えシーズン通算5勝を獲得。なかでもニュルブルクリンクシルバーストンでは第1レースとリバースグリッド制の第2レース両方とも勝利して、ネルソン・ピケJr.との争いを制してタイトルを獲得した[11]

F1 マクラーレン在籍期(2007年 - 2012年)[編集]

2007年[編集]

2007年マクラーレンメルセデスからF1デビュー。チームメイトは2005年2006年を連覇したチャンピオン、フェルナンド・アロンソ

「F1史上初の黒人ドライバー」「マクラーレンの秘蔵っ子」などの愛称として注目を浴びる中、デビュー戦となる開幕戦オーストラリアGPで3位に入賞し表彰台へ登った[18]。続く第2戦マレーシアGP第3戦バーレーンGPでも2位に入り、デビューから3戦連続表彰台という史上初の成績を収めた[19]。更に第4戦スペインGP第5戦モナコGPでも続けて2位に入賞[20]。第4戦終了時には未勝利ながら史上最年少でドライバーズランキングの首位に立った[21]

第6戦カナダGPでは初のポールポジションを獲得すると、決勝レースではポールトゥーウィンで初優勝を遂げ[22]、続く第7戦アメリカGPでもポールトゥーウィンで2戦連続優勝を果たした[23]

その後、第8戦フランスGP第9戦イギリスGPにおいても3位と安定した成績を収めたが[24]第10戦ヨーロッパGP予選Q3では公式セッションに於いて初のクラッシュを経験し[25]、その結果デビュー後最低となる10番グリッドからのスタートとなった。決勝では他車との接触によるパンクや雨によるコースアウトなどが重なり入賞圏外の9位でフィニッシュ。これにより初参戦以来の連続表彰台記録および連続入賞記録は9でストップした[26]。その後は第11戦ハンガリーGP[27]第15戦日本GPで勝利を飾った事などもありポイントリーダーの座を守ったが[28]、チャンピオン獲得の可能性もあった第16戦中国GPでは、タイヤのパンクで自身初のリタイアを経験した[29]

F1史上初のルーキーチャンピオン誕生の可能性に注目が集まった最終戦ブラジルGPだったが、スタートでキミ・ライコネンとアロンソに先行を許し、ミスによるコースアウトやギアトラブルにより後退、最終的に7位に終わったことで、ライコネンに1点差で逆転チャンピオンを許した[30]。しかしレース後、ハミルトンの上位でフィニッシュした3人のドライバーに対して燃料温度に違反があるとして審議が行われ、即日ペナルティなしとの判断が下されたものの、2日後にマクラーレンはFIA国際控訴裁判所に控訴した。仮にこの3人にタイム加算や失格ペナルティが下された場合、順位繰り上げとなってライコネンの獲得ポイントを上回るハミルトンに(再逆転)チャンピオン獲得の可能性があったが、最終的に棄却されたことでその可能性は消滅した[31]

結果的にF1史上初の新人によるワールドチャンピオン獲得という偉業達成はならなかったものの、前年まで連覇を果たしたアロンソを同点ながらもランキングで上回るなど、その才能を遺憾なく見せつける1年となった。

2008年[編集]

2008年、シーズン開幕前にはフェラーリ圧倒的に有利と言われていた下馬評[32]を覆し、開幕戦オーストラリアGPを制した。しかし第2戦マレーシアGPでは予選中に他車のアタックを妨害したとしてグリッド降格ペナルティを受けてしまい、決勝レースでもピット作業の遅れが響き5位にとどまった[33]第3戦バーレーンGPでは2度もアロンソに追突するなどのミスから順位を落としノーポイントに終わったが[34]、その後の2戦では表彰台を獲得。

第6戦モナコGPでは序盤にガードレールに当たりタイヤをパンクさせるミスを犯しピットインを余儀なくされ後退するも、セーフティカーが導入されたレース展開に巧みに対応して中盤には首位に立ちモナコGP初優勝を飾った[35]。その後の第7戦カナダGPでは、ピットアウト時に赤信号で停止していたライコネンのマシンに追突するミスを犯しリタイアに終わる。この事故により次戦第8戦フランスGPでは10グリッド降格ペナルティ、決勝でもシケイン不通過でのオーバーテイクによるペナルティを受け[36]2戦連続ノーポイント。

しかし、大雨の第9戦イギリスGPを独走で制すると[37]第10戦ドイツGPではセーフティカー導入時の戦略ミス[38]を覆して優勝し、2連勝でポイントリーダーに立つ。その後の6戦は優勝こそないものの、手堅くポイントを上げランキング首位を堅持する。第16戦日本GPでは、スタート直後の1コーナーへの進入で他車を巻き込むミスを犯し、それに対するペナルティで後退し無得点に終わった。しかし続く第17戦中国GPではポールポジションからスタートすると、ファステストラップを記録しながら独走し、圧倒的な強さを見せシーズン5勝目をハットトリックで飾った[39]

最終戦ブラジルGPの時点で、ハミルトン94ポイントに対してフェリペ・マッサ87ポイントと、ハミルトンは5位以内に入賞すれば無条件でチャンピオン決定と言う有利な状況にあった[40]。しかしスタートからマッサが首位を快走する中、ハミルトンはプレッシャーからか5位前後を出入りする展開が続き[1]、68周目にはセバスチャン・ベッテルに抜かれて6位に転落する。レースはマッサがそのまま逃げ切ってチェッカーを受けた頃、ハミルトンは再び順位を上げられずチャンピオン獲得は絶望的に思われた中、雨が強まる中ドライタイヤを装着していたティモ・グロックを最終ラップの最終コーナー手前でオーバーテイク、土壇場で5位入賞を果たしたことで、マッサとは1点差で[40]自身初のドライバーズチャンピオンを決めた[1][41]。前評判を覆して[32]、これまでアロンソが保持していたF1史上最年少ワールドチャンピオン記録を更新した(23歳300日)[1]

結果的に史上最年少でワールドチャンピオンを獲得はしたものの、前年と比較するとミスやドライビングの荒さが目立ち、他のドライバーやメディアの批判の的になることが多い一年となった[42][43]

2009年[編集]

2009年もマクラーレンから参戦。しかしチームは大幅なレギュレーション変更の対応に苦しみ、開幕前のテストから不調が報じられた[44]。ハミルトン自身も、開幕戦オーストラリアGPでは決勝前の全セッションでチームメイトのコバライネンにも遅れをとり苦戦が予想されたが、決勝ではグリッド最後尾から追い上げ、4位でゴールした。レース終了後に3位に繰り上がったが、その際の審議で虚偽証言をしたとして失格処分となった[45]第5戦スペインGP以降はノーポイントのレースが続き、また第6戦モナコGPから第8戦イギリスGPまで3戦連続で予選Q1落ちを喫していたが[46]第9戦ドイツGPで復活の兆しを見せ予選5番手を獲得。決勝ではスタートでマーク・ウェバーに追突されタイヤがパンクする不運もあり、最下位でレースを終えた[47]

しかし、次戦第10戦ハンガリーGPでは予選4位を獲得すると決勝では終始安定したペースで11戦ぶりの勝利をあげ、KERS搭載車の初勝利を記録した[48]。続く第11戦ヨーロッパGPでも好調を維持してシーズン初のポールポジションを獲得し、決勝では終盤のピット戦略ミスがあったが2位表彰台を獲得した[49]第13戦イタリアGPではシーズン2度目のポールポジションを獲得するが、決勝では3位走行中のファイナルラップで自身のミスによりクラッシュしてレースを終えた。これによりシーズン4戦を残してタイトル防衛の可能性が消滅した[50]が、続く第14戦シンガポールGPでは2戦連続となるポールポジションを獲得しポールトゥーウィンを飾った[51]

最終的に、コンストラクターランキング上位2チームの4人に次ぐ、ドライバーズランキング5位でシーズンを終えた[52]。なお、この年はファステストラップを1回も記録出来なかった[53](2019年現在に至るまで唯一のこと)。

2010年[編集]

2010年もマクラーレンから参戦。チームメイトは前年度チャンピオンのジェンソン・バトン開幕戦バーレーンGP予選ではポールポジションのセバスチャン・ベッテルから1秒以上の遅れをとり[54]、フェラーリ勢の後塵を拝する4位に留まった。決勝では3位表彰台を獲得したものの、翌第2戦オーストラリアGP第3戦マレーシアGPでは予選Q2敗退を喫するなどシーズンの苦戦が予想された[55]

好機が訪れたのは第7戦トルコGP。首位を争っていたレッドブル勢の2人のドライバー、ベッテルとウェバーが接触。ベッテルはリタイアに追い込まれ、ウェバーは後退を余儀なくされた。これにより首位に出たハミルトンはバトンとの攻防も制してシーズン初勝利をあげた[56]。続くカナダGPではレッドブル以外の車両でこのシーズン初のポールポジションを獲得して見せた[57]。決勝も2戦連続でチームメイトのバトンと1-2フィニッシュで優勝を飾りポイントランキングでも首位に躍り出た[58][59]。次の2戦ではマシンのアップデートが進まずに[60]第9戦ヨーロッパGPではセーフティカーを抜きドライブスルーペナルティを受けたが、第10戦イギリスGPと2戦連続で2位表彰台を獲得しランキング首位を堅持した[61][62]

第11戦ドイツGP以降はレッドブル勢ばかりでなく復調したフェラーリ勢にも遅れをとり始め[63]第12戦ハンガリーGPではギアボックストラブルでリタイアに終わったことによりポイントランキング首位の座をウェバーに明け渡した[64]。翌第13戦ベルギーGPで優勝し再びタイトル争いで首位に立ったが[65]第14戦イタリアGPでは1周目に自身のミスによりマッサと接触しリタイアに終わり[66]、続く第14戦シンガポールGPで今度はウェバーと接触し、2戦続けてリタイアしたため首位から陥落[67]第15戦日本GP終了時点ではベッテルにも先行されたものの、翌第16戦韓国GPで2位表彰台を獲得し、レッドブルの2人が共にリタイアに終わったことでランキング4位ながらタイトル獲得へ可能性を残した[68]最終戦アブダビGPでは優勝並びに首位のアロンソが無得点であることがタイトル獲得への最低条件であったが、2位に留まり最終的にドライバーズランキング4位に終わった[69]

2011年[編集]

2011年もマクラーレンから参戦。開幕前のテストではレッドブルやフェラーリに大きく遅れを取っていたが[70]開幕戦オーストラリアGPの予選ではポールポジションのベッテルに0.778秒という大差をつけられながらも2位につけ[71]、決勝でも2位表彰台を獲得した[72]。続く第2戦マレーシアGP予選でも好調を維持し2戦連続で2番手につけたものの[73]、決勝では2位を走行中のピット作業ミスで3位に落ち、その後アロンソに追突されタイヤに不調をきたした。さらにはアロンソとのバトル中にストレートで複数回の進路変更を行ったことを咎められ、ペナルティを受け8位に降格となった[74]。しかし、続く第3戦中国GPではベッテルが予選まで全てのセッションでトップタイムをマークする好調さを見せていたが、決勝ではレース終盤でそのベッテルをオーバーテイクしてシーズン初優勝をあげた[75]

第6戦モナコGPではマッサとマルドナドと接触し、ペナルティを受けて6位に終わった[76]。大雨によりセーフティカースタートとなった第7戦カナダGPではスタート直後にウェバーと接触し、その後ホームストレートでチームメイトのバトンをオーバーテイクしようとした際に追突してリタイアとなった。この2件の接触は共に審議の結果ペナルティの対象とはならなかった[77]ものの、2戦で4件の接触事故を起こし、そのドライビングスタイルが非難を浴びた[78]。4戦続けて表彰台にすら登れないレースが続いていたが、過密スケジュールによる精神的な疲労を理由に直前のいくつかのイベントなどをキャンセルし[79]、休暇を取って臨んだ第10戦ドイツGPでは予選で2番手を獲得し、決勝ではスタートで首位に立つとアロンソとウェバーとの三つ巴の激戦を制し7戦ぶりとなる2勝目をあげた[80]第11戦ハンガリーGPではレースの大半を首位で走るが雨が降り出すとスピンし、その際にコースへ戻るスピンターンが危険という理由でドライブスルーペナルティを受け、ウェットタイヤへ交換する作戦も裏目に出て4位に終わった[81]。その後も他車との接触が多く、表彰台に乗れないレースが続いた。

第16戦韓国GPでは昨年のカナダGP以来のポールポジションを獲得し[82]、決勝では1周目にベッテルに抜かれ中盤からペースが上がらずに苦しんだものの、ウェバーとの2位争いを制し久しぶりの表彰台を手にした。ポールポジション獲得後の記者会見で「久しぶりのポールポジションなのに嬉しそうではないのはなぜか」と問い詰められることがあったが、この頃恋人のニコール・シャージンガーと別れており[83]それが影響したのではないかと噂され、こうしたプライベートな問題がパフォーマンスに影響したのではないかという噂を後にハミルトン自身も認めた[84]。しかし、第18戦アブダビGPではフリー走行から好調で、予選Q2でレースウィーク中全体の最速タイムを記録し、ベッテルにポールポジションを奪われたものの、決勝ではスタート直後にベッテルがリタイアしたためトップに上り、その後は安定した走りでアロンソを退け、久しぶりとなる勝利を挙げた[85]

レッドブル以外のドライバーで唯一のポールポジションを獲得したが、決勝ではピレリタイヤのマネジメントに苦しんだレースが多々あり、レース中のミスや接触も目立った。その結果、12回の表彰台に登りドライバーズランキング2位を手にしたバトンに対し、ハミルトンは同じ3勝を上げたものの表彰台は6回に留まり、1年を通して安定感に欠けたことでドライバーズランキングは5位に終わり、F1キャリアの中で初めてドライバーズランキングでチームメイトの後塵を拝した。

2012年[編集]

2012年もマクラーレンから参戦。テストで好調が噂されたMP4-27は速さを見せ[86]、予選では開幕戦オーストラリアGP第2戦マレーシアGPと連続ポールポジションを獲得し[87]、決勝では第3戦中国GPまで3戦連続3位表彰台を獲得してポイントリーダーとなった[88]

第5戦スペインGPでは予選で2位に0.568秒差をつけてのポールポジションを奪うが、2010年カナダGP同様燃料切れ寸前になり、アタック後にピットに戻ることができずに予選タイム抹消で失格処分[89]となった。決勝は最後尾から唯一2ストップ作戦で走りきり8位入賞[90]第6戦モナコGPではレース序盤まで3番手をキープして走行していたが、ピットストップでアロンソとベッテルに逆転され5位でレースを終えた。レース後にはチーム側への不満を露にしたが[91]、続く第7戦カナダGPでアロンソとベッテルとのトップ争いを制してシーズン初優勝を飾った[92]

その後はマシンパフォーマンスとともに調子を落とすものの、第11戦ハンガリーGPでは2位に大差を付けてのポールポジションを獲得すると[93]、決勝ではロータス勢の激しい追い上げを抑えきりポールトゥーウィンで2勝目を上げた[94]第12戦ベルギーGPではスタートでロマン・グロージャンに幅寄せされ接触、そのまま多重クラッシュに巻き込まれてリタイアするも[95]、連戦となった翌第13戦イタリアGPでは4度目となるポールポジション[96]、2度目のポールトゥーウィンで3勝目を上げた[97]第14戦シンガポールGPでも連続となるポールポジションを獲得したが決勝では首位走行中ギアボックストラブルによりリタイア[98]

その後は復調したベッテルに遅れを取り、マシントラブルも多発したことにより入賞が精一杯という結果が続きタイトル獲得は絶望的となった。数字上は僅かに可能性が残っていた第18戦アブダビGPではフリー走行から復活の兆しを見せ、予選では大差を付けてポールポジションを獲得[99]。決勝でも充分なリードを築いていたがまたもマシントラブルに襲われリタイアに終わりチャンピオン争いから脱落した[100]。その後の第19戦アメリカGPでは予選2位からポールポジションを獲得したベッテルとのマッチレースを逆転で制して6戦ぶりの勝利を飾る[101]。最終戦となる第20戦ブラジルGPでは7度目のポールポジションを獲得[102]。雨まじりとなった決勝では序盤首位からバトンに抜かれ順位を落とすも、セーフティカー導入により差が縮まり雨も止んだ中盤に首位に復帰。しかし追い上げてきたニコ・ヒュルケンベルグに追突されリタイアに終わった[103]

シーズン最多となる7度のポールポジションとベッテルに次ぐ4度の優勝を上げ、その速さを遺憾なく発揮したシーズンであったが、度重なるチームのミスやマシントラブルなどによりポイントを失うレースが多く、ドライバーズランキングは4位で終わった。

第15戦日本GP開催前に、来季のメルセデス移籍が発表された[104]

F1 メルセデス在籍期(2013年 - )[編集]

2013年[編集]

2013年メルセデスから参戦。チームメイトはカート時代の元チームメイトであるニコ・ロズベルグ

F1ワークス活動再開後3年間で1勝しか上げていないメルセデスへの移籍は賛否両論があり、自身も「移籍してすぐに結果を出せるとは思っていない。今年(2013年)は学びのシーズンだよ」と語っていたが[105]、冬のテストでは最後のバルセロナテストでトップタイムを記録。ハミルトン自身もシーズン中に勝利する可能性があることを認め、メルセデスW04は高い競争力を持っているのではと期待された[106]。その期待通り早くも第2戦マレーシアGPで移籍後初となる3位表彰台を獲得。[107]第3戦中国GPでは移籍後初のポールポジションを獲得[108]。決勝では2戦連続となる3位表彰台を獲得した[109]


その後はロズベルグが3戦連続でポールポジションを獲得し、第6戦モナコGPでは優勝するなどチームメイトの後塵を拝することになる[110]。この不調についてハミルトンは、長年居たマクラーレンとメルセデスのマシンの感触の違い、特にブレーキングのフィーリングが違うせいで自信を持ってドライブできないのが原因と語った[111]。得意とする第7戦カナダGPから復調の兆しを見せ3度目の3位表彰台を獲得[112]。母国である第8戦イギリスGPでは2位以下を0.4秒以上引き離すコースレコードタイムで2回目のポールポジションを獲得[113]。決勝レースも順調に後続を引き離していたが、このレースで多くのマシンを襲ったピレリのタイヤバーストトラブルの最初の犠牲者となり、最後尾まで順位を落としてしまう。終盤はセーフティカーにも助けられ4位まで挽回した[114]。次戦第9戦ドイツGPでも2戦連続のポールポジションを獲得するが[115]、決勝はペースに苦しみ5位フィニッシュ[116]

カナダと同様に得意とする第10戦ハンガリーGPで3戦連続のポールポジション[117]からポールトゥーウィンを決めて移籍後の初優勝を果たした[118]第11戦ベルギーGPでも目まぐるしく変わるコンディションの中4戦連続となるポールポジションを獲得し[119]第12戦イタリアGPではシーズン唯一のファステストラップを叩き出すなどシーズン中盤には速さを見せた。しかし、ベルギーGP以降圧倒的なパフォーマンスを発揮したレッドブルセバスチャン・ベッテルを脅かすには至らず、ドライバーズランキング4位でシーズンを終えた。

2018年現在、F1キャリア最少の1勝しか上げられなかったシーズンである。しかし、リタイアしたのは第15戦日本GPのみ[120]で、加えてノーポイントに終わったレースは第5戦スペインGP[121]の2つだけという安定した走りを見せたこともあって、序盤の予測を覆し同年のポイントは自身が前年にマクラーレンで稼いた得点まであと1点のところまで迫った[122]

2014年[編集]

2014年も引き続き同じ体制で参戦。2014年からカーナンバーに固定ナンバー制度が導入されたことにより、ハミルトンはカート時代に使っていた「44」を選んだ[123]

ターボ復活など、レギュレーションの大変革が行われたこの年、冬のテストで明らかにライバルをリードしていたのがメルセデスのW05 Hybridだった[124]開幕戦オーストラリアGPでポールを獲得し[125]、決勝はパワーユニットのトラブルでリタイアするも僚友のロズベルグが圧倒的なリードで優勝したことによってそれは証明され、チャンピオンシップはハミルトンとロズベルグによって争われることが予想された[126]第2戦マレーシアGPグランドスラムを達成しシーズン初勝利を飾る[127]第3戦バーレーンGPではポールポジションはロズベルグに譲るも、スタートでリードを奪うとその後の激しいバトルを制して勝利をもぎ取る[128]。勢いそのままに第4戦中国GP第5戦スペインGPを連続ポールトゥーウィンで制し、自身初となる4連勝を果たした[129]

ポイントリーダーとして迎えた第6戦モナコGPだったが予選決勝共に2位で終わり、早々にポイントリーダーの座を奪い返された[130]。その後はやや精彩を欠き、特に予選の成績は低迷した。第7戦カナダGPはマシントラブルによりリタイア[131]第8戦オーストリアGPでは2位表彰台に登るものの[132]、それぞれ予選でポール獲得可能なペースがあったにも関わらずミスにより逃している[133][134]第9戦イギリスGPでも予選でのミスにより6番手に沈むが[135]、決勝では目覚ましいペースで追い上げポールスタートのロズベルグがリタイアするのを尻目に2008年以来となる母国優勝を果たし[136]、広がりつつあったポイント差を一気に縮める事にも成功した[137]。しかし第10戦ドイツGP第11戦ハンガリーGPではそれぞれ予選Q1でブレーキトラブルによるクラッシュ[138]、マシンから出火[139]という不運に見舞われ後方スタートを余儀なくされるものの、共に追い上げ3位表彰台まで挽回した[140]。ハンガリーでは終盤タイヤ戦略の異なるロズベルグを前に出すようにチームオーダーが出されるが、それを拒否してポジションを守り切った事によりチーム内で物議を醸した[141]

ロズベルグとの間の緊張感はシーズンが進むにつれ大きくなっていったが[142]第12戦ベルギーGPで接触という形で表れる。スタートでポールのロズベルグを抜いてトップにたったハミルトンだったが、次の周にロズベルグに追突された事によりタイヤがパンクし最後方に沈み最終的にはリタイアした[143]。一方のロズベルグが2位に入った事でまたしてもポイント差を広げられた。それでも、第13戦イタリアGP第14戦シンガポールGPで共にハットトリックを飾り[144]、シンガポールをリタイアしたロズベルグに代わり再びポイントリーダーの座に立つと[145]、イタリアGPから第17戦アメリカGPまでに5連勝を果たしてロズベルグとのポイント差を広げた[146]第18戦ブラジルGPではスピンもあって[147]2位に留まったが、最終戦アブダビGPでは予選2番手から本人曰く「キャリア最高のスタート」でトップに立つとそのまま逃げ切り、自己最多となる11勝目を挙げ[148]、2008年以来となる2度目のワールドチャンピオンに輝いた[149]


幾度かのマシントラブルや[138][139]、本人の浮き沈みもあり[133]、予選ではロズベルグに対して7勝12敗と遅れをとり、この年から始まった最多ポール獲得者に送られるポールトロフィー獲得はならなかった[150]。しかし、イギリスGPアブダビGPのようにレースで逆転するケースが目立ち[136][148]、決勝レースでの強さを見せチャンピオンを獲得した。

2015年[編集]

2015年も引き続き同じ体制で参戦。カーナンバーは、チャンピオンナンバーである「1」を選ばずに引き続き「44」を使用する[151]

昨年同様テストから他を圧倒する速さを見せ[152]開幕戦オーストラリアGPをハットトリックで制し幸先よくシーズンをスタートした[153]第2戦マレーシアGPでは2ストップ作戦をとり、1回ピット回数を減らしてきたフェラーリのベッテルに敗れ2位に終わる[154]。しかし、続く第3戦中国GPをハットトリックで制し[155]第4戦バーレーンGPは終盤ブレーキトラブルを抱え[156]、ライコネンの猛追を受けたもののポールトゥーウインを飾った[157]


ヨーロッパラウンドに入るとスタートで出遅れるケースが目立った[158]。また、第6戦モナコGPではトップを快走し、2位ロズベルグを20秒近く離していたがチームの戦略ミスにより3位で終え[159]第10戦ハンガリーGPではスタートで後退し、ロズベルグを抜こうとしてコースアウト、さらにダニエル・リカルドとの接触によりペナルティを受け表彰台すら逃した[160]。 夏休み明けの第11戦ベルギーGPをポールトゥーウィンで制すと[161]、続く第12戦イタリアGPでは自身2度目のグランドスラムを達成した[162]

第13戦シンガポールGPではメルセデス勢はフリー走行からペースが上がらず、予選ではセナの持つ連続PP8回の記録に挑んだがフェラーリ勢とレッドブル勢の後塵を拝する5番手で終え連続PP記録は7で途絶えた[163]。さらにはレース中盤で今シーズン初のリタイアを喫した[164]。しかし、続く第14戦日本GPではポールポジションをロズベルグに譲ったものの[165]、スタートでトップに立ちその後は危なげない走りで憧れのセナに並ぶ通算41勝目を挙げた[166]第15戦ロシアGPではロズベルグのリタイアで楽にトップに立つと、2位のベッテルに対して付け入る隙を見せずに勝利を飾る[167]第16戦アメリカGPでもスタートでロズベルグをかわしてトップに立つが、再度抜き返される。しかし2度のセーフティカーも味方し、さらにはロズベルグがコースアウトした隙を突いて、トップを奪って勝利を収めた。これにより2年連続、自身3度目のワールドチャンピオンを獲得した[168]


フェラーリの躍進、マシンの問題[158]やチーム・自身のミス[159]第13戦シンガポールGPでの急失速などもあり[163]、決して楽なシーズンではなかったが、昨年以上の安定感に予選の速さも加わり2年連続での2桁勝利と11回のPPを獲得した[169]、シーズン中1度もポイントリーダーの座を譲らない強さを見せた1年となった。

2016年[編集]

2016年もメルセデスから参戦。開幕戦直前に決まった新予選方式[170]が導入された開幕戦オーストラリアGPではポールポジションを獲得した[171]。決勝ではスタートで順位を落としたが終盤はベッテルを凌いで2位表彰台[172]第2戦バーレーンGPでもV10時代のコースレコードを塗り替えるラップでポールポジションを獲得したが[173]、決勝ではスタートでチームメイトのロズベルグにあっさりかわされ、さらにウィリアムズバルテリ・ボッタスと接触して大きく順位を落とし挽回したものの3位に終わる[174]。続く第3戦中国GPではマシントラブルにより、およそ2年ぶりのQ1落ち[175]。さらに決勝でもスタート直後にフェリペ・ナスルと接触し、その後もペースが上がらず7位に終わった[176]第5戦スペインGPにおいてもシーズン3度目のポールポジションを獲得したが[177]、ロズベルグとオープニングラップに接触してリタイアに終わり[178]、この時点でポイントリーダーのロズベルグに43ポイントの大差をつけられていた[179]


迎えた第6戦モナコGP予選ではトラブルの影響もあり3位に終わる[180]。しかし、決勝ではペースの上がらないロズベルグにポジションを譲られて[181]早々に2番手に上がり、その後はレッドブルのタイヤ交換ミスにも助けられて、トップを奪いシーズン初優勝を飾る[182]と、続く第7戦カナダGPもポールトゥーウィンで連勝[183]第8戦ヨーロッパGPでは初開催のバクー市街地コースの予選でクラッシュして10位に終わり[184]、決勝でもペースが上がらず5位に終わった[185]。しかし、第9戦オーストリアGPではロズベルグと接触しながらも逆転勝利を飾ると[186]第11戦ハンガリーGPではスタートでトップを奪って優勝を飾り、ロズベルグからポイントリーダーの座を奪った[187]。さらに第12戦ドイツGPでもスタートでロズベルグをかわしてそのまま独走で勝利を収めた[188]。7月負けなしの4連勝で[189]前半戦を折り返した時点でロズベルグに19ポイントの差をつけた[190]

夏休み明けの第13戦ベルギーGPではパワーユニット交換のペナルティにより21番手スタートとなったが[191]、序盤の混乱や赤旗に乗じて大きく順位をあげて3位表彰台を獲得した[192]。しかしその後はミスやトラブルにより[193][194]、ロズベルグに3連勝を許して第15戦シンガポールGPでポイントリーダーの座を譲り[195]第16戦マレーシアGPではトップを快走中にエンジンブローでシーズン2度目のリタイヤを喫した[196]。さらに第17戦日本GPでもスタート失敗が尾を引き3位に終わり、4戦を残してロズベルグに33ポイント差をつけられて自力タイトルの可能性は消滅した[197]。その後、得意とする第18戦アメリカGPでは初のポールポジションを獲得して[198]、そのまま危なげなく優勝を飾り[199]、勢いに乗って残りの3レースすべてでもポールトゥーウィンと意地をみせた[200]第20戦ブラジルGPではアラン・プロストの通算優勝回数を上回り単独歴代2位となったが[201]、その4レースすべてで2位に入り続けたロズベルグに最終的に5ポイントの差で逃げ切りを許してしまった[202]

ロズベルグを上回る12回のポールポジションを獲得し、3年連続の二桁勝利を達成した。一方で、スタートで大きく順位を落とす場面やオープニングラップでの接触がしばしばであり[174][176]、またマシントラブルにも苦しんで失ったポイントも多かったことが[203][180][196]、僅差でチャンピオン3連覇を逃す結果に繋がった。

2017年[編集]

2017年もメルセデスから参戦。チームメイトは昨シーズン限りで電撃的に引退したロズベルグ[204]に代わって、ウィリアムズより加入したバルテリ・ボッタス[205]

開幕戦オーストラリアGPでは4年連続となるポールポジションを獲得したが[206]、決勝ではベッテルに逆転を許して2位[207]第2戦中国GPではグランドスラムでシーズン初優勝を飾った[208]。しかし、続く第3戦バーレーンGPでは終盤の追い上げ実らずベッテルに次ぐ2位に留まり[209]第4戦ロシアGPでは終始ペースが上がらず優勝したチームメイトのボッタスに30秒もの大差をつけられて4位に終わった[210]

第5戦スペインGPではスタートでベッテルの先行を許したものの、再びコース上で逆転して優勝を飾った[211]。しかし、第6戦モナコグランプリでは予選ではストフェル・バンドーンのクラッシュの影響もありQ2敗退を喫し[212]、決勝も7位でフィニッシュするにとどまった[213]第7戦カナダGPにてアイルトン・セナに並ぶ65回目のポールポジションを獲得し[214]、決勝でも安定した走りを見せてシーズン2度目のグランドスラムを達成[215]。その後の2レースはヘッドレストが緩むトラブルによる緊急ピットインや[216]、ギアボックス交換ペナルティ[217]が響き表彰台にすら登れなかった。そしてロンドンで行われたF1のイベントを欠席[218]して臨んだ第10戦イギリスGPでは再びグランドスラムで同グランプリ4連覇を達成する[219]。これで一気にベッテルとのポイント差を縮めたが、第11戦ハンガリーGPでは4位に留まり優勝したベッテルに14ポイントのリードを許して前半戦を終えた[220]


夏休み明け第12戦ベルギーGPでは予選でポールポジションを獲得すると[221]、決勝でもベッテルとのマッチレースを制して5勝目をあげた[222]。続く第13戦イタリアGPでは通算69回目のポールポジションを獲得し、ミハエル・シューマッハの68回を上回る歴代最多記録を更新[223]。決勝でも危なげない走りで優勝を飾り、シーズンで初めてポイントリーダーの座に立った[224]。その後も第14戦シンガポールGPから第17戦アメリカGPの4レースで優勝3回、2位1回と安定した成績を収め、クラッシュやトラブルで失速したベッテルに66ポイントの差をつけた[225][226]。迎えた第18戦メキシコGPではベッテルと接触し、最後尾まで後退。しかし、9位まで追い上げてポイントを獲得し、2年ぶり4回目のチャンピオンを決めた[227]


自身も「暴れ馬」[228]と呼んだマシンに手こずり調子を落とすレースもいくつかあった一方で、徐々にマシンの理解が進むにつれて調子を上げていった。特にベルギーGPからタイトル獲得までは圧倒的な速さと強さを誇り[229]、この年参戦のドライバー唯一にして自身初の年間全レース完走および入賞を達成[230]し、最終的に3年連続の2桁ポールに9勝を挙げてタイトルを奪還した。

2018年[編集]

2018年も前年と同じ体制で参戦。開幕前のテストから今シーズンの最有力であることが伝えられていたが[231]、例年通り慎重な姿勢を見せていた[232]

開幕戦オーストラリアGPでは5年連続ポールポジションを2位にコンマ7秒近い大差をつけて獲得するも[233]、レース中盤に導入されたバーチャル・セーフティカーによりまたしても開幕戦での優勝を逃した[234]第2戦バーレーンGPからは昨年同様にタイヤとの相性に苦しむ状況となっていた[235][236]。それでも、第4戦アゼルバイジャンGPではベッテルのミスや、ボッタスのトラブルもあって辛くもシーズン初優勝を飾りポイントリーダーの座に躍り出ると[237]第5戦スペインGPではポールスタートから2位に20秒差をつけて連勝を果たした[238]

第7戦カナダGPではPUのアップデートが遅れた影響などにより5位に終わり[239]、マシンにシーズン初の大型アップデートを投入[240]して臨んだ第9戦オーストリアGPではおよそ2年ぶりとなるリタイヤを喫した[241]。さらに、母国第10戦イギリスGPではスタート失敗の上ライコネンと接触して最後尾近くまで後退し[242]、2番手まで挽回したものの同グランプリ5連覇達成とはならなかった[243]第11戦ドイツグランプリでもトラブルで予選は14位と後方に沈むが[244]、レース終盤に降ってきた雨を味方につけ首位を走っていたベッテルがクラッシュしたことも助けとなり逆転優勝を飾りポイントリーダーを奪還[245]第12戦ハンガリーグランプリでは予選の雨を味方につけてポールトゥーウィンを果たし[246]、ベッテルに24ポイント差をつけた[247]

第13戦ベルギーグランプリではPP獲得もスタート直後にあっさりとパスされてベッテルに逆転優勝を許した[248]。しかし、第14戦イタリアGPでは予選3番手からスタートでベッテルをパスして2番手に上がると、ライコネンとのマッチレースを制して逆転で優勝を飾った[249]。そこから勢いに乗って第17戦日本GPまでに4連勝でタイトル争いの流れを引き寄せた[250]第18戦アメリカGP第19戦メキシコGPではフェラーリやレッドブルの後塵を拝するレースとなったが[251]、そのメキシコGPでファン・マヌエル・ファンジオミハエル・シューマッハに続く、F1史上3人目となる5度目のワールドチャンピオン(歴代2位タイ)に輝いた[252]。その後も以前の2度の戴冠後とは打って変わって集中力を切らさず[253]、残り2レースでもポールトゥーウィンを飾ってシーズンを締めくくった[254]。シーズンの総獲得ポイントではF1史上初となる400ポイント越えを果たした[255]

前述のように[235][236]前半戦はマシンやタイヤを理解するのに苦しんだ事に加え、大幅に戦闘力を向上させたフェラーリに対して中盤戦まではかなりの劣勢を強いられた[256]。しかし、雨に助けられた事や[257]前年以上の安定感を披露[258]、尚且つ前年同様サマーブレイク明けからは圧倒的な強さを見せ、同シーズンも終わってみれば4年連続となる二桁ポールと自身最多タイの11勝を収め[259]、2度目となるドライバーズタイトル連覇を果たした。

2019年[編集]

2019年も前年と同じ体制で参戦。

開幕前のテストではフェラーリ勢の好調が報じられたが[260]開幕戦オーストラリアGPでは幸先よくポールポジションを獲得[261]。しかし決勝ではフロントローのボッタスの先行を許したうえ、マシンのフロアに損傷があった事でペースを上げられず、2年ぶりの優勝を飾ったボッタスに次ぐ2位に終わった[262]第2戦バーレーンGPでは一転してフェラーリ勢のフロントロー独占を許しての予選3位だったが、決勝では2位争いでベッテルの攻略に成功し、更にトップを快走していたシャルル・ルクレールがPUトラブルでスローダウンしたことでボッタスとの1-2体制となり、そのまま今季初優勝を飾った[263]。その後の3レースでは予選でチームメイトのボッタスの後塵を拝しつつも、第3戦中国GP第5戦スペインGPでは逆転で優勝を飾った[264][265]。その一方で自身がマシンのパフォーマンスを引き出すことに苦労していることを認めていた[266]

第6戦モナコGPでは開幕戦以来となるポールポジションを獲得すると[267]、決勝でも戦略ミスをカバーしながらマックス・フェルスタッペンを抑えきりポールトゥーウィンを飾った[268]。そのままの勢いで第8戦フランスGPまでに4連勝を果たした[269]第9戦オーストリアGPではマシンのオーバーヒート問題に加えて、自らのミスも重なったことで5位で終わり2019年で初めて表彰台を逃すレースとなった[270]
母国の第10戦イギリスGPではポールをボッタスに譲ったものの、決勝ではバーチャル・セーフティカーのタイミングも味方につけトップに立つと、最終ラップにファステストラップを記録して優勝を果たした[271]第11戦ドイツGPではポールを獲得。レースを中盤まではリードしていたものの、クラッシュを喫した上にピットインのタイミングやペナルティも重なり9位に終わった[272]。夏休み前最後の第12戦ハンガリーGPでは予選3番手からオープニングラップで2番手に浮上。レース終盤にはトップのフェルスタッペンを抜いて逆転優勝を飾った[273]。前半戦で8勝をあげて、ランキング2位のボッタスに対して62ポイントのリードを築いた。

後半戦に入ってからはフェラーリ勢が圧倒的なスピードを披露し、予選やコース上でのバトルで後塵を拝するレースが続いた[274]。それでも、第16戦ロシアGP第18戦メキシコGPでは逆転で優勝を果たし[275][276]、それ以外のレースでも着実にポイントを重ねていった。迎えた第19戦アメリカGPではシーズン予選ワーストとなる5番手からスタート[277]。自身が8位以上でタイトルが決まる条件の中、ボッタスの優勝を許したものの2位でフィニッシュし、2019年シーズンのワールドチャンピオン獲得を達成した[278]第20戦ブラジルGPでは3位でフィニッシュしたが、レース終盤のアレクサンダー・アルボンとの接触の責任を問われ7位に降格となった[279]最終戦アブダビGPではドイツGP以来10戦ぶりとなるポールポジションを獲得すると[280]、決勝レースでも序盤から後続を引き離し、およそ2年半ぶり自身通算6回目のグランドスラムを達成してシーズン最後のレースを締めくくった[281]

シーズン通して予選では苦しみ[266][277]、ポールポジションを取った回数は2013年と並んで最も低い回数にとどまった。そのため、2015年以降4年連続で獲得していたシーズン最多ポールシッターの証であるポールトロフィーは、シーズン7ポールのルクレールに譲る形となった。しかし、決勝レースでは2019年から採用されたファステストラップポイントもシーズン最多の6ポイントを獲得し[282][283]、優勝回数では自己ベストタイとなる11勝を記録した。さらに、安定した強さを発揮して全周回完走及び全レース入賞を果たした結果、通算6度目のワールドチャンピオン獲得、そして自身初のドライバーズタイトル3連覇を達成した。

ドライビングスタイル[編集]

基本的には路面との付き合い方が上手く素早い反応をみせられることから、オーバーステア気味のマシン挙動を好みにしている傾向がある[122]。また、キミ・ライコネンバルテリ・ボッタスといったドライバーと同じく、コーナーへの進入の際に予備動作的に一度イン側にマシンを振ってからコーナーへ進入し、徐々に感覚を掴んでいくスタイルを取っている[284]。本人も自身のドライビングにおいて、フロントの回頭性が敏感に反応することについての重要性について言及している[169]。一方で、ブリヂストンタイヤのF1総指揮を取っていた浜島裕英は「ハミルトンの強さはフロントタイヤ重視で走れることですね。リヤのグリップが落ちてきてもタイムが出せるドライバーはやっぱりすごい。僕がブリヂストンにいた頃も、彼のおかげでフロントタイヤを改良することができました」と語っており、前述のようにフロントを重視する姿勢とリアタイヤへの依存度の少なさを語っている[285]
タイヤ・燃費
長くタイヤを持たせることに関しては長けているが、ブリヂストンからピレリにメーカーが変わった2011年などを含めてタイヤを機能させることには苦労しており、本人も「タイヤの使い方に関しては、初めてタイトルを獲った2008年以降ずっと試行錯誤してきた。」と語っている[127][286]
2014年からはレギュレーションの大幅な変更により、「リフト&コースト」と呼ばれるテクニックを行使する必要に迫られた。これはブレーキングの手前でアクセルもブレーキも踏まない、パーシャルスロットルの状態を作ることで燃費を稼ぐテクニックである[287]。ハミルトンはこのテクニックにもすぐに対応し、同年以降は燃費でライバルに対してアドバンテージを得ることに成功している[127]。 そして、ブレーキングに関してもこだわりを持っており、トレイルブレーキングと呼ばれるテクニックを行使している。これは、通常運転の際には「走る・止まる・曲がる」というサイクルを1つずつ行っていくのが基本であるが、このうちの後ろ2つの動作をほぼ同時に行い、止まりながら徐々にステアリングを切って徐々に曲がっていくというテクニックである[288]成績が示すように特に予選ではライバルへのギャップを築く一因となっているが、2つの動作を一気に行うのでタイヤやブレーキの限界を繊細に見極めコントロールする必要があり、非常にリスクのあるブレーキングを行っていた[289]。そのために、感覚が狂ってしまうとスランプに陥ることもあり、メルセデス移籍直後など時折ブレーキングに苦しむ状況も見受けられた[111][194]
セッティング
2013年までは決勝よりも予選に向けて仕上げていくことに重点を置いたセットアップやドライビングをしてきていたが、2014年には担当エンジニアの1人だったジョック・クレアとの議論の中で決勝に重きを置く方向性に変更している[286]。この年はチームメイトのロズベルグに予選成績で敗北しているが[290]、11勝をあげて6年ぶり2度目のチャンピオンを獲得している。2015年からはメルセデス移籍3シーズン目ということもあり、自分の望むようにマシンを作り上げていけたこと、そして1ラップをしっかりとまとめられるようになったことで予選での成績も復調した[169]
また2016年シンガポールグランプリでの敗戦を受けて、次の2016年マレーシアグランプリ前にはドライビングスタイルやセットアップの進め方を抜本的に変更した。チームの戦略家のジェームズ・ボウルズもセットアップを感覚的にするのではなく、エンジニアに対するフィードバックをこと細かにしながら進めるようになったことを認めている[291][292]

受賞歴[編集]

F1ワールドチャンピオン : 2008年,2014年,2015年,2017年,2018年,2019年[1][148][168][227][252][278]
DHLファステストラップアワード : 2014,2015,2017年[293][294][295]
FIAポールトロフィー/ピレリポールポジションアワード : 2015,2016,2017,2018年[296]
ホーソーン記念トロフィー : 2008,2012,2014,2015,2016,2017,2018年[297]
GP2シリーズチャンピオンシップ : 2006年[11]
フォーミュラ3・ユーロシリーズチャンピオンシップ : 2005年[11]
フォーミュラ・ルノー2.0 UKチャンピオンシップ : 2003年[11]
ブリッティッシュクラブドライバー・オブ・ザ・イヤー : 2003年[298]
オートスポーツルーキー・オブ・ザ・イヤー : 2006,2007年[299][300]
オートスポーツ国際レーシングドライバーアワード : 2007, 2008, 2014, 2015, 2017,2018年[300][301][298][302]
オートスポーツ英国コンペティションドライバー・オブ・ザ・イヤー : 2007, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017,2018年[301][298][302]
バンビ賞 : 2008年[303]
ローレウス世界スポーツ賞 - 年間最優秀成長選手賞 : 2008年[2]
ロレンツォ・バンディーニ賞 : 2010年[304]
BBC年間最優秀選手賞 : 2014年[305]
PAP欧州スポーツマン・オブ・ザ・イヤー : 2014年[306]
GQスポーツマン・オブ・ザ・イヤー : 2014,2015年[307][308]
ESPYベストドライバー : 2017年[309]
大英帝国勲章(メンバー) : 2008年[310]

エピソード[編集]

ライバルとの関係[編集]

フェルナンド・アロンソ
ニコ・ロズベルグ

レース関連[編集]

F1直下のカテゴリーとして、フォーミュラ2(1967年〜1984年)、国際F3000(1985年〜2004年)、GP2(2005年〜)と続いてきているこれらのクラスでチャンピオンになったドライバーは、F1ではチャンピオンになれないというジンクスがあったが、40年間続いていたこのジンクスを初めて破ったドライバーである。
幼い頃からアイルトン・セナに憧れていることを公言しており、しばしばレース後の公式インタビューなどでもそれを感じさせる発言をする。セナが亡くなった日には泣きさけんだと語っている[321]2010年イギリスBBCの人気番組「トップ・ギア」の企画で、セナが初タイトルを獲得したマシン「マクラーレン・MP4/4」をドライブしたことがある[322]。幼少期のヒーローとしては、セナの他に南アフリカ共和国の大統領を務めたネルソン・マンデラボクサーモハメド・アリも挙げている。アリが亡くなった後に行われた2016年カナダグランプリで勝利した際に、無線で「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という彼の言葉を引用している[323][183]
少年時代から自動車よりも二輪車に対するあこがれの方が強かった事も明かし[324]バイクも熱狂的なファンだと自認している。例として2018年12月にはヘレスサーキットスーパーバイク世界選手権仕様のヤマハ・YZF-R1のテスト走行に参加。ヤマハ発動機のワークスチームのライダーであるアレックス・ロウズらのアドバイスを受けながら走ったが、「スーパーバイクのライダーたちと同じようにアクセルを開けなかった」「だから学ぶべきことはたくさんある」「4輪を運転するのとは完全に違うものだ。だけどバイクの走らせ方を学習するのはとてもわくわくする」とコメント[325]。ヤマハワークスチーム在籍のマイケル・ファン・デル・マークは「彼は非常に速かったけど、ライディングスタイルは持っていなかった」「自分のF1マシンと同じくらい速くコーナーを曲がろうとしていた」「僕たちよりも7秒遅かったけど、日常的にトラックを走っている大半のライダーよりも速い」と評した[326]。また、ハミルトンは「史上最強のライダー」と言われるバレンティーノ・ロッシ[327]に対しても「(イタリアタヴッリアにあるロッシの)モトクロス場を訪れたい」とも語った[328]
2007年ヨーロッパグランプリにおいて、1コーナーでコースアウトしてグラベルから脱出できなくなった際、エンジンはかかっていたため、近くのクレーンに吊り上げてもらいレースに復帰した[329]。過去にこのような方法でのレース復帰は前例がなくそれを規制するレギュレーションもなかったが、このようなケースでは全てのドライバーに平等な対応ができないため、以降クレーンでのレース復帰はレギュレーションで禁止された。 母国のイギリスグランプリや戴冠レース、そしてシーズン最終戦ではファンサービスのためレース終了後によくドーナツターンを披露している。ハミルトン自身は、ファンサービスやエンターテイメントの面から見てドーナツターンなどのパフォーマンスに肯定的である[330]
メルセデスへの移籍は[104]、当時メルセデス代表だったロス・ブラウンがハミルトンの母親の家を訪れて、ハミルトンを説得したことが主な理由であるとハミルトン自身が明かしている[331]。2014年からフィンランド人のスポーツトレーナーヴィッレ・ヴィホーラがついており、16年には食事やマッサージなど理学療法的なケア、そして心のケアをするトレーナーとしてニュージーランド人のアンジェラ・カレンをスタッフとして招き入れた[332]
固定ナンバー制度が導入されてからはチャンピオンを獲得しても[123]、ディフェンディングチャンピオンの証である「1」を付けず自身の固定ナンバーである「44」に拘り続けている[333]。なお、2018年最終戦アブダビGPのフリー走行1回目に限り、チャンピオン獲得を記念してメルセデス移籍後初めて「1」で走行した[334]。F1では全て自身のカーナンバーが「偶数」かつ「ゾロ目」の時のみチャンピオンを獲得している。
近年のF1では、サーキットでのテストが規則で厳しく制限されていることもあり、シミュレーターは必要不可欠なツールであるが、「ゲームと大差がない」と語るなどシミュレーター嫌いとして知られている[323]。一方でミハエル・シューマッハの最多ポールポジション記録を更新した2017年イタリアグランプリではで3時間近くにわたる赤旗中断となった際、チームメイトのバルテリ・ボッタスとゲームをしている様子が国際中継に映し出された[335]

ヘルメット[編集]

ヘルメットカラー・デザインはセナとよく似たものを使用しているが、黄色にした理由を「パパ(父アンソニー)が見つけやすいように」と答えている[336]。セナの遺族に承諾を取って後ろ側のみセナのデザインにしたヘルメットを使用したこともある[337]2016年ブラジルグランプリではシーズン中1度のみヘルメットデザインを変更できる権利を行使し、セナ仕様のデザインを施したヘルメットを使用した[336]。しかし雨の決勝ではヘルメットのバイザーから雨が入るトラブルに見舞われ、赤旗中断の際に通常仕様のヘルメットに戻した。このレースでは一度も首位を譲らず優勝し、ブラジル初制覇を達成した[201]2017年カナダグランプリではセナのポールポジション記録に並んだ[214]。この際に、遺族からセナがロータス時代の1987年に着用していたヘルメットをプレゼントされた[338]2017年にはファンからヘルメットのデザインを公募を募り、その中からセナとのつながりを尊重したデザインを選び、このデザインを施したヘルメットをシーズンの殆どのレースで使用した。採用者にはレプリカのヘルメットがプレゼントされた[339]

家族[編集]

F1参戦当初は父・アンソニー・ハミルトンがマネージャーとしてほぼ全てのグランプリに帯同していた[340]。実の母親であるカーメンとは今でも親しい関係にあり、2016年アブダビグランプリ2017年メキシコグランプリには観戦に訪れている[5]。2015年に自身がディスレクシアであることを告白しており[8]、弟のニコラス・ハミルトン脳性麻痺を患っているがいくつかのグランプリではガレージ内で観戦している。ニコラスは2011年4月にはブランズ・ハッチで行われたルノー・クリオ・カップに出場してレーシングドライバーデビューを飾り、2017年に再び復帰を果たしている[341]。自身や弟が障害を持っているためか関心も強いようで、F4レースで下肢切断の大事故を負ったビリー・モンガー2017年イギリスグランプリに招待した[342]ブルドッグを2匹飼っており時折パドックに連れてきていた。このうちの一匹「ロスコ―」にはバーニー・エクレストンからパドックパスが進呈されている[343]。なお、ジョン・ワトソンは「F1パドックに犬はふさわしくない」などと批判していた[344]

私生活・その他[編集]

幼少期からサッカーチームアーセナルFCのファンであり、もしF1ドライバーになれなければサッカークリケットをしていたかもしれないと本人は話している[345]。2007年、過剰なメディアへの露出を避けるためイギリスからスイスに移住した。また、現在はモナココロラドニューヨークなどを含めて複数の家を保持している[346]。同年には、自伝「My story(マイ・ストーリー)」が出版された。2008年には、その改訂版も出版された[347]。2013年には29億円のプライベートジェットを購入した。2017年にこのプライベートジェットの購入に関して脱税疑惑がかけられたが、代理人を通して否定している[348]

2016年には人気ゲームコール オブ デューティの一作品にゲームの登場人物として出演している[349]。また、2017年にレースゲームグランツーリスモSPORTではマエストロとして登場しており、[350]それ以降のF1ではグランツーリスモシリーズのロゴが付いたメルセデスのキャップを付けてサーキットに登場している。2018年11月にモナコで開催された、FIA グランツーリスモ チャンピオンシップ ワールドファイナルにも自身が登場し、グランツーリスモシリーズプロデューサーの山内一典らとトークをしたり、ワールドファイナル出場選手とのツーショットも行った。

2015年からは赤身肉を食べるのをやめ、17年からは鶏肉の摂取をやめて魚類だけを食べるようになった。また、2017年シンガポールグランプリからはヴィーガンとなるなど食生活の改善にも取り組んでいる[351]。以前から音楽に対する興味を示しており、時折テレビなどでもピアノの生演奏なども行っていた[352]。また、2018年には別名で歌手デビューを果たした[353]。Still I Riseという言葉をしばしば口にしており、これはマヤ・アンジェロウという黒人女性の詩である[351]

レース戦績[編集]

略歴[編集]

* : 今シーズンの順位。(現時点)

フォーミュラ3・ユーロシリーズ[編集]

太字ポールポジション斜字ファステストラップ。(key)

GP2シリーズ[編集]

太字ポールポジション斜字ファステストラップ。(key)

F1[編集]

太字ポールポジション斜字ファステストラップ。(key)
 : リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
 : ハーフポイント。レース周回数が75%未満で終了したため、得点が半分となる。
* : 今シーズンの順位。(現時点)
備考元 : [11]

F1での主な記録[編集]

史上最年少ポイントリーダー:22歳96日[21]
初参戦からの連続表彰台:9回(歴代1位)[26]
参戦初年度の優勝:4回(歴代1位タイ)[354]
参戦初年度のPP:6回(歴代1位)[354]
参戦初年度の獲得ポイント : 109(歴代1位)[354]
フル参戦1年目からの毎年勝利記録:13年(歴代1位)[355]
連続入賞記録:33回(歴代1位) - 2016年日本GPから2018年フランスGPにかけて記録、2018年中国GPキミ・ライコネンの27回の記録を更新[356][241]
年間表彰台回数 : 17回 (歴代1位タイ) - 2015年2016年2018年2019年ミハエル・シューマッハ2002年)、セバスチャン・ベッテル2011年)とタイ記録[357]
年間グランドスラム達成数 : 3回(歴代1位タイ) - 2017年アルベルト・アスカリジム・クラークナイジェル・マンセルとタイ記録を達成[219]
年間全レース完走 : 2017年、2019年に達成(史上10人目)[230]
年間全レース入賞 : 2017年、2019年に達成(史上3人目)[230]
年間獲得ポイント : 413 (歴代1位)[358]
通算獲得ポイント : 3431 (歴代1位)[359]
通算PP回数:88回 (歴代1位)- 2017年イタリアGPでシューマッハの68回を更新[223]
通算フロントロー回数 : 145回 (歴代1位) - 2017年アメリカGPでシューマッハの116回を更新[360]
通算ポールトゥーウィン : 50 (歴代1位) - 2018年スペインGPでシューマッハの40回を更新[361]
F1で勝利したサーキット数 : 26 (歴代1位) - 2016年ブラジルGPでシューマッハの23コースを更新[201]
史上最年少ハットトリック:22歳266日 - 2009年イギリスGPにてベッテルが更新[362]
史上最年少ドライバーズチャンピオン:23歳300日 - 2010年アブダビGPにてベッテルが更新[362]

脚注[編集]

出典:Wikipedia
2020/03/24 18:02
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