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2.レース参戦実績
2.8.全日本GT選手権・SUPER GT
1999年より土沼広芳を監督に、野田英樹ワイン・ガードナーとをドライバーに起用し、スープラで参戦。当初はエッソタイガースープラを名乗り、虎をイメージさせたカラーリングをしていた。

2000年は前年同様の体制ながら、マシン名をエッソウルトロンタイガースープラに変更。

2001年に童夢から脇阪寿一が移籍し、その年よりマシン名がエッソウルトラフロースープラになった。この年は脇阪と野田英樹がドライブ。

2002年は野田に代わって飯田章がドライブし、シリーズチャンピオンに輝く。

2003年は2勝を挙げるなど活躍するが、最終戦では惜しくも日産勢に敗れた。

2006年は脇阪にかわって片岡龍也がドライブすることになった。また、ベースマシンがSC430、スポンサーがエクソンモービルのままだが、マシン名がMobil 1 SCとなった。

2007年は飯田がGT300クラスのRACING PROJECT BANDOHへ移籍し、代わってビヨン・ビルドハイムが加入、スポンサーもフォーラムエンジニアリングへ変更され、マシン名はForum Eng. SC430に変更された。

2008年は2007年GT500チャンピオンの伊藤大輔ARTAより移籍し、2010年までビヨン・ビルドハイムと共に参戦。スポンサーがENEOSに変更され、マシン名もENEOS SC430になりオレンジと赤のカラーリングになった。

2011年はビルドハイムに代わって大嶋和也が移籍した。

2013年は伊藤が活動を休止したKRAFTに変わり参戦することとなった37号車のTOM'Sに移籍することになり、代わりにトレードのような形でKRAFTから国本雄資が移籍、大嶋和也とコンビを組む。

2014年からは、ベースマシンをRC Fに変更した。

2016年はGT500を勇退した脇阪寿一が監督に就任。ドライバーラインナップは国本雄資がRACING PROJECT BANDOHに移籍。TOM'Sから移籍してきたアンドレア・カルダレッリが大嶋和也とコンビを組む。スポンサーもWAKO'Sへ変更され、マシン名はWAKO'S 4CR RC Fに変更された。

2017年からは、ベースマシンをLC500に変更した。

2018年にカルダレッリに変わってフェリックス・ローゼンクヴィストが加入した。

2019年にインディカー・シリーズへ参戦することが決まったローゼンクヴィストに変わって、RACING PROJECT BANDOHから山下健太が加入した。シーズンでは、第4戦タイ、第5戦富士500マイルで2連勝を飾り、シリーズタイトルを獲得した。

活躍[編集]


トヨタ系のチームの中でも1-2を争うほどの人気の高いチームである。2002年には、脇阪寿一・飯田章組がチャンピオンを獲得した。翌年の2003年は、チャンピオン争いで優位に立っていたものの最終戦で失速、惜しくも3ポイント差でザナヴィ ニスモ GT-Rに敗れる。2004年も最終戦までチャンピオン争いを展開するがシーズン未勝利に終わる。

2005年には前半戦は新型のスープラの熟成に苦しみ不調、後半戦でなんとか調子を取り戻したものの、最終戦までチャンピオンの権利は得ていない。

2006年からエースドライバーだった脇阪がトムスに移籍。エースドライバーを失ったチームは徐々に低迷。第3戦・富士ではリストリクターの救済により2位を得たもののその他は予選・決勝を通じてチームは低迷した。

2007年も3位表彰台を2回獲得するもトヨタワークスとしては下位でシーズンを終えている。

2008年には伊藤を据え復活に注目されたが第4戦後に事故で重傷を負ってしまい、代役として飯田がチームに復帰した。なお伊藤は最終戦に復帰した。結果的にチームとしては3位表彰台1回に終わるなど低調なシーズンに終わった。

2009年は表彰台すらなく、厳しいシーズンに終始した。

2010年は勝利こそなかったものの堅実に上位入賞するレースを続け、第4戦を終えてポイントランキング首位に立っており、最終戦までチャンピオン争いの中にいたが、ビルドハイムが、予選2番手グリッドで迎えた最終戦決勝スタート前のダミーグリッドに着く際、ピットレーン出口のシグナルを無視して、グリーンシグナル点灯の1分近く前にコースに出てしまうという痛恨のミスを犯したことによって、決勝レース中に20秒のピットストップペナルティを受け、そのままノーポイントに終わり、チャンピオンも逃した。

2011年は開幕戦となった第2戦富士(第1戦岡山東日本大震災の影響で延期したため)で2位表彰台に立って幸先の良いスタートを切ったが、その後は上位争いに絡めずに終わった。

2012年は開幕2戦こそ不調だったが、第3戦セパンにて3位表彰台に立つと、続く第4戦SUGOにて、まず予選でチームにとって8年ぶりのポールポジションを獲得。決勝ではスタートにて2台のGT-R勢のコースアウトに巻き込まれそうになるも首位をキープ、終盤に大嶋がトムスの中嶋一貴に追い上げられるも凌ぎきり、チームにとって2003年第3戦SUGO以来9年ぶりの勝利を獲得した。

2013年は第2戦岡山で3位、そして最終戦もてぎでポールポジションから逃げ切って勝利し、このレースでシリーズチャンピオンとなったセルモと共に、SC430の有終の美を飾った。

2014年は、開幕2戦で2位・3位と好調だったもののそれ以降は不調に終わった。

2016年より前年に引退した脇阪寿一氏を監督に迎え、スポンサーも和光ケミカルに変わり体制が一新した。

2019年は17年ぶりにドライバーズチャンピオンを獲得、チームランキングも2位に入る。

過去の参戦歴[編集]


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出典:Wikipedia
2020/01/06 03:02
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