リトアニア
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3.歴史
3.3.リトアニア共和国として独立
第一次世界大戦中の1918年2月16日ロシア革命の余波が及ぶ中でリトアニア評議会(タリーバ)はリトアニアの独立を宣言した(リトアニア独立宣言)。当初はリトアニア王国として独立したが、これはドイツの計画したミッテル・オイローパ構想(汎ヨーロッパ主義)の一環であった。その後、1918年11月11日第一次世界大戦でドイツ帝国が敗北して崩壊すると、リトアニア第一共和国となった。

その後のリトアニアは、ポーランドおよびドイツとの領土問題を抱えることとなる。1920年、ジェリコフスキ将軍率いるポーランド軍はヴィリニュス地域を侵攻、その後この地域にはリトアニア共和国とは別に中部リトアニア共和国が建国された。中部リトアニア共和国は後にポーランドに編入されたが、リトアニアにとってヴィリニュスは歴史的首都で、憲法でも首都として制定されていたため、その後ポーランドとのあいだで領土問題を抱え続けることとなった。この結果、戦間期にはカウナスが臨時首都とされ、ポーランド第二共和国とは1938年にいたるまで国交が樹立されないままであった。この戦間期におけるリトアニア共和国の領土面積48,712平方kmであった。

また、ドイツとはクライペダ(メーメル)地方をめぐる領土問題を抱えていた。第一次世界大戦後、クライペダ地方は国際管理地域とされていたが、1923年リトアニア軍が侵攻し、占領した。その後この地方は、1939年3月にはナチスドイツに併合されている。

リトアニア共和国はカウナスが臨時首都とされて以降は議会制民主主義体制がとられていたが、1926年の軍事クーデタによりアンタナス・スメトナを大統領とする権威主義体制に移行した。

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出典:Wikipedia
2018/07/08 16:30
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