3.1.オーハ島での生活
市橋は、逃亡中に沖縄県の
島尻郡久米島町の
オーハ島を4回訪れており最長で3ヶ月ほど滞在した
[11]。最初の滞在では
海岸近くの岩場に潜伏していたが、2回目以降の滞在は海岸近くの
コンクリートブロック造りの小屋に移動した
[12][13]。オーハ島は
ダイビングスポットや
海水浴としては人気があったが、当時居住していたのは70歳代の男性が1人であった。隣の
久米島で仕事を探したが適当な仕事がなく、
自給自足の生活をしていた。最初の滞在は準備不足で魚釣りも満足にできず食料調達に失敗し1週間で頓挫した。オーハ島から沖縄本島に戻るときにはフェリーの代金が足りず
キセルをして
職員に捕まっているが、事件の市橋とは察知されず放免されている
[2]。
2回目以降の滞在では図書館でサバイバルに関して調査し、
魚や
蛇・
ヤシガニを食べたり、
野菜を
栽培するなどして
生活した
[2]。
飲料水は
奥武島に泳いで渡り、1週間分の飲料水を
ペットボトルに詰めて持ち帰るなどした
[2]。
燃料となる
薪は
流木が豊富に得られたので困ることはなかった。逮捕されたときも、この島を目指して移動途中であった。初
公判で市橋は、もはや逃げ切れないと思い、オーハ島の小屋で死のうと思っていたと供述した
[9]。2011年1月23日千葉県警は捜査員を派遣して、小屋の残留物を
証拠品として押収した。