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リョート・マチダ
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1.来歴
日本から22歳の時にブラジルへ移民した空手家の父親・町田嘉三[注 1]とユダヤ系ブラジル人の母親[1]との間に4人兄弟の三男[注 2] として生まれる。兄弟全員が空手の選手という格闘一家に生まれ育った。

アマゾン川河口の町パラー州ベレンに空手道場を開いた父の下で4歳より稽古し、10代から相撲ブラジリアン柔術も習得、またムエタイボクシングの手ほどきも受けていた。空手では2度のブラジル王者、南アメリカ選手権での準優勝などの実績を持つ[2][注 3] ほか、ブラジル相撲選手権準優勝など様々な格闘技大会で勝利を重ねた。

アントニオ猪木の実兄がサンパウロ市に開設した空手道場の師範を父が1年ほど務めた縁から2000年に猪木にスカウトされ、アメリカ新日本プロレス道場で総合格闘技のトレーニングを積む。

2003年5月2日、新日本プロレスが開催した総合格闘技大会「アルティメット・クラッシュ」でプロデビュー。謙吾と対戦し、3-0の判定勝ち。試合後、リングサイドで観戦していたアントニオ猪木から祝福を受けるとともに、拳骨で制裁を受けた。9月13日にはアントニオ猪木が主催した興行であるJungle Fight 1にてステファン・ボナーと対戦し、TKO勝ち。12月31日のINOKI BOM-BA-YE 2003ではそれまで総合格闘技無敗であったリッチ・フランクリンに打撃の連打でKO勝ちを収めた。

2004年3月14日、K-1 BEAST 2004にてマイケル・マクドナルドと総合格闘技ルールで対戦し、前腕チョーク(K-1の公式記録はギロチンチョーク)で一本勝ち。続く5月22日のK-1 ROMANEXではサム・グレコと総合格闘技ルールで対戦し、2-1の判定勝ち。

2005年3月26日、HERO'SBJ・ペンと対戦し、3-0で判定勝ち。自身より体重が14.5kg軽いBJとの異質な試合であった。

2006年5月26日、グラップリング大会L.A.SUB-X第1回大会でハファエル・ロバト・ジュニアと対戦。1, 2Rで決着が付かなかったため2度延長ラウンドを行ないテイクダウンポイント1点を奪い、ポイント1-0で判定勝ち。

2006年7月22日、ライトヘビー級転向初戦となったWFAでヴァーノン・"タイガー"・ホワイトと対戦、3-0の判定勝ち。ほどなくWFAがUFCに買収されたため、そのままUFCへ移籍することとなる。

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(1.1.UFC)
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出典:Wikipedia
2020/02/14 11:02
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