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リュブリャナ
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3.歴史
3.3.近代
ナポレオン・ボナパルトは1809年 - 1813年にフランス第一帝政イリュリア州の州都をリュブリャナに置いた[15][23]。1815年になると町は再びオーストリアの支配となり1816 - 1849年にオーストリア帝国は地方行政区画としてイリュリア王国の行政的中心となった。1821年にライバッハ会議英語版の開催都市となり、これによって定められたヨーロッパの政治的境界線はその後長年にわたって固定化されることとなった[24]。1849年には最初のウィーンからのオーストリア南部鉄道が開業し、1857年には今日のイタリアのトリエステへ延伸された[23]

1895年にリュブリャナはマグニチュード6.1の震災に見舞われた(1895年リュブリャナ地震英語版[25]。当時の人口は31,000人で、10%にあたる1,400の建物が破壊され大きな被害をもたらしている。震災後は再建がウィーン分離派様式により各地区で再建が行われた[23]。街灯はリュブリャナの町には1898年に現れ、再建に続いて町の近代化が当時の市長であったイヴァン・フリバル英語版により進められた。

1918年に第一次世界大戦が終結するとオーストリア=ハンガリー帝国は解体し、リュブリャナは後のユーゴスラビア王国となるセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の一部となりスロベニア地方の中心都市となった。1929年にユーゴスラビア王国の行政区分が再編された際には、現在のスロベニアとほぼ同じ領域を占めるドラヴァ州英語版の州都となる[26]

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出典:Wikipedia
2020/03/15 12:01
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2020/03/28 更新
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