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リュブリャナ
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6.都市景観
6.2.観光

リュブリャナ城[編集]


リュブリャナ城 (Ljubljanski grad) は市街を見下ろす丘の上に建っている。城の周辺は紀元前1200年以来、絶え間なく人が居住している。[49] 城の見張り塔は1848年に遡り見張り番が住み込み、火事の警告や重要な来訪者や出来事を大砲で知らせる義務があり、現在でも続いているが[49] 今日では観光客の呼び物となっている。文化的な行事や結婚式などがこの城では行われる[50]。2006年からケーブルカーによって市街と丘の上の城が結ばれた[51]

聖ニコラオス大聖堂[編集]


聖ニコラオス大聖堂はリュブリャナ大司教区により管理されている。緑のドームと2つの塔により簡単に見分けることが出来、キュリロスとメトディオス広場(Ciril-Metodov trg)に面したリュブリャナ中央市場や市庁舎近くに位置する。[52]リュブリャナ教区は1461年に設立された。[52]1701年から1706年にかけてイエズス会の建築家アンドレア・ポッツォ(Andrea Pozzo)によりバロック様式の教会と2つの両側の礼拝堂の十字架の形で設計された。[52]ドームは1841年に中央部に造られている。[52]内装はバロック様式のフレスコにより1703年 - 1706年と1721年 - 1723年にイタリアのフレスコ画家ジュリオ・クアーリョ(Giulio Quaglio)により描かれた。

竜の橋[編集]


竜の橋 (Zmajski most)はリュブリャナがオーストリア=ハンガリー帝国の一部であった1900年 - 1901年に造られた。ウィーンで学んだダルマチア人建築家が設計しオーストリア人の技術者が建て、ウィーン分離派の建築物の中では傑出したものとされている。[9][53]一部の市民からは四隅の恐ろしい竜の顔になぞらえて「姑」と言うニックネームで呼ばれている。[54]

チョポヴァ通り[編集]


チョポヴァ通り (?opova ulica)はリュブリャナ中心部を通る大通りである。通りの名は言語学者で文学史家のマティア・チョプに因み名付けられた。彼は19世紀初期のロマン主義の詩人フランツェ・プレシェーレンの親友であった。この通りはスロヴェンスカ通りに面した中央郵便局(Glavna po?ta) やプレシェーレン広場(Pre?ernov trg)に続いており、通りにはバーやスロベニアでは一番古くからあるマクドナルドを含む様々な店舗が軒を連ねている。この通りは歩行者専用で都心のプロムナードと見なされている。

コングレスニ広場[編集]


コングレスニ広場はリュブリャナにとっては一番重要な中心である。広場は1821年にライバッハ会議を目的に造られ、後に現在の名称が付けられた。それ以来政治的な式典やデモ抗議の場所として重要な中心となっており、スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国の設立式典、ベオグラード解放の式典、1988年のユーゴスラビア当局に対する抗議などが開かれている。広場周囲にはリュブリャナ大学、スロベニア?フィルハーモニー管弦楽団、Slovenska maticaウルスラの三位一体教会などの重要な組織の建物がある。2010年と2011年に大規模な改修が行われ現在ではほとんどの地上部分の道路交通は閉鎖されたが、商業目的の5区画と地下に多くの駐車場がある。[55]

ティヴォリ公園[編集]


リュブリャナティヴォリ公園 (Park Tivoli)はリュブリャナでは一番大きな公園である。 [56][57]公園は1813年にフランス人技術者ジャン・ブランシャールにより設計され、現在の面積は約5 km2 (1.9 sq mi).[56] である。公園はリュブリャナがフランス第一帝政下にあった1813年にレイアウトされパリのジャルダン・ディ・ティヴォリ(ティヴォリ公園)に因み名付けられた。[56]ティヴォリ公園の縁にある釣り堀は1880年に遡る。池の一方は小さな植物園でもう一方は子供の遊技場となっている。1921年と1939年にヨジェ・プレチニックによって刷新され彼により設計され中央部の広いプロムナードはヤコピチプロムナード(Jakopi?evo sprehajali??e)と呼ばれスロベニアの印象派画家リハルド・ヤコピッチ(Rihard Jakopi?)に因み名付けられている。[56][57]3つの主要な通りにはクリの木が植えられている。公園内には異なった種類の木や花園、いくつかの彫像、噴水などがある。[56][57]公園内にはティヴォリ城や国立現代史博物館、ティヴォリホールなどがある。[56]

肉屋の橋[編集]


肉屋の橋(Mesarski most)はリュブリャニツァ川に架かる歩行者用の橋である。リュブリャナ中央市場とペトコヴシェケの土手を結んでいる。橋はスロベニア人彫刻家ヤコヴ・ブルダル(Jakov Brdar)の作品で飾られている。2010年7月10日に公式に開通し、1930年代からのヨジェ・プレチニックの構想が完了した。橋の開通後、恋人同士により橋のワイヤーに永遠の愛を象徴する南京錠が掛け始められ、パリのポンデザールのような光景となっている。

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出典:Wikipedia
2020/03/15 12:01
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2020/03/29 更新
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