サービス終了のお知らせ
リーガ・エスパニョーラ
▼人気記事ランキング
概要
リーガ・エスパニョーラは、スペインのサッカーリーグがリーガBBVAと呼ばれていた頃の日本での古い愛称。

スペインリーグの公式ホームページや公式SNSでは、一貫して LaLiga (ラ・リーガ)が使われており、Liga Espa?ola (リーガ・エスパニョーラ)が正式名称ではないことがわかる。

名称がラ・リーガ・サンタンデールに変更された現在では、放映権を持つ、DAZNでは「ラ・リーガ」[1]、WOWOWでは「スペインサッカー ラ・リーガ」[2]日本語版公式SNSでは「ラ・リーガ」と表記 、呼称されている。

今現在でも、リーガ・エスパニョーラが使われることもあるが、ほとんど使われていない。

概要[編集]

スペインのリーガ・エスパニョーラは1929年に創設され[3]イングランドプレミアリーグイタリアセリエAドイツブンデスリーガフランスリーグ・アンとともにヨーロッパの五大プロサッカーリーグを形成している[3]

スペインのサッカーは、イングランドの「キック・アンド・ラッシュ」、イタリアの「カテナッチョ」のようにこれといったスタイルは持っていない。サッカースタイルが地域間で異なるのが要因であるが、全般的にはフィジカルよりもテクニック、守備よりも攻撃を重視する傾向にある。

クライフ監督時代のドリームチームの影響が強く、FCバルセロナを筆頭に他国リーグと比べ、単に勝つだけでなく観ていて面白い内容のサッカーをすることを求められる傾向が強い。このため、レアル・マドリードファビオ・カペッロ監督は、2回のリーグ優勝を果たしたにもかかわらずその試合内容があまりにもつまらないとされ、サポーターから激しい批判を浴び、2度解任されるという事態が起こった。同様にバルセロナでも、ルイス・ファン・ハール監督は優勝したにもかかわらず、カタルーニャ人を使わずオランダ人を多く使い、サッカーも単調な内容だったことで地元ファンからは嫌われていた。

各クラブが地域と密着している。その最たるものはバスク州アスレティック・ビルバオで、このクラブは地元バスク人のみで構成されている。また、自然と各試合は街を挙げた対抗戦となるので、ワールドカップ並の注目を集めるエル・クラシコや世界一激しいことで有名なアンダルシアダービー(レアル・ベティスセビージャFC)など大きなダービーマッチも多い。またバスク地方の人々の結束力の強さ故に、バスクダービーアスレティック・ビルバオレアル・ソシエダ)の試合は互いのサポーターが肩を組んで応援するという光景を見ることが出来る。

前述のように各クラブと地域が密着していることにも起因して、レアル・マドリードFCバルセロナセビージャFCアスレティック・ビルバオCAオサスナなどを筆頭にカンテラと呼ばれる下部組織のユースチームが非常に発達しており、ここから数多くの名選手が輩出されている。

スペイン経済の不況が進み、金銭面のチーム格差が顕著になってきたことでレアル・マドリードとバルセロナの2強化が目立っている。

歴史[編集]

全国選手権創設前[編集]

1872年、アンダルシア州ウエルバにイギリスからサッカーが伝えられ、それから17年を経た1889年、スペイン初のサッカークラブであるレクレアティーボ・ウエルバが誕生。これを機にマドリードバルセロナなどの大都市にも次々にサッカークラブが生まれた。1904年にはスペインサッカー連盟の前身団体が国際サッカー連盟(FIFA)に加盟し、1913年にはスペインサッカー連盟(RFEF)が設立された。1920年、アントウェルペンオリンピック出場を主目的としてスペイン代表が創設され、銀メダルを獲得してスペイン国内に一大ブームを巻き起こした。

リーガ・エスパニョーラ創設[編集]

1927年4月、アレナス・クルブ・デ・ゲチョのホセ・マリア・アチャ監督は全国選手権の創設を提案した。リーグの規模や参加クラブなどについて議論が重ねられた結果、スペインサッカー連盟(RFEF)は1929年にプリメーラ・ディビシオンを創設した。参加クラブは10クラブであり、コパ・デル・レイの優勝経験があったFCバルセロナレアル・マドリードアスレティック・ビルバオレアル・ソシエダ、アレナス・クルブ、レアル・ウニオンはすべて選出された。それ以外には、コパ・デル・レイで準優勝の経験があったアトレティコ・マドリードRCDエスパニョールCEエウロパの参加が決定し、トーナメント戦を通じてラシン・サンタンデールが10クラブ目に選ばれた。

1930年代[編集]

1929年の第1回大会を制したのはバルセロナであり、1931-32シーズンと1932-33シーズンにはレアル・マドリードが2連覇したが、初期のリーガでもっとも成功を収めたのはアスレティック・ビルバオだった。1929-30シーズン、1930-31シーズン、1933-34シーズン、1935-36シーズンに優勝し、1931-32シーズンと1932-33シーズンには2位となった。1934-35シーズンにはベティス・バロンピエが初優勝したが、これは現在でもベティスにとって唯一のリーグ優勝である。スペイン内戦中はリーグ戦そのものが中断され、1936-37シーズンから1938-39シーズンまでの3シーズンは行なわれていない。スペイン第二共和政化の1937年にはカタルーニャ地方やバレンシア地方のクラブが参加したリーガ・メディテラネア(地中海リーグ)が行なわれ、バルセロナが優勝した。70年が経た2007年、バルセロナはスペインサッカー連盟にリーガ・メディテラネアの公式タイトル承認を求めた。

1940年代[編集]

スペイン内戦終結後にプリメーラ・ディビシオンが再開されると、アトレティコ・アビアシオン(現在のアトレティコ・マドリード)、バレンシア、セビージャFCが台頭して強豪に成長した。スペイン内戦では多くのサッカー選手が犠牲となり、また他国への亡命や身柄の拘束などで選手を失ったクラブが多かったが、アトレティコは合併でチーム力強化を行なった。スペイン内戦前にはレアル・オビエドも強豪の一角だったが、内戦中にグラウンドが荒らされたために参戦の権利をアトレティコに譲り、1939-40シーズンと1940-41シーズンにはアトレティコが2連覇を飾った。また、内戦前の戦力が損なわれずに残っていたバレンシアは、1941-42シーズン、1943-44シーズン、1946-47シーズンに優勝を飾り、1947-48シーズンと1948-49シーズンに2位となった。セビージャは短期間だが黄金期を迎え、1939-40シーズンと1941-42シーズンに2位となったほか、1945-46シーズンには初優勝を飾った。1940年代後半にはバルセロナも強豪に成長し、1945-46シーズン、1947-48シーズン、1948-49シーズンに優勝した。1949-50シーズンと1950-51シーズンにはエレニオ・エレーラ監督に率いられたアトレティコが2連覇した。なお、フランシスコ・フランコ独裁政権は世界中から批判され、スペインサッカー界も長い間孤立を余儀なくされた。

1950年代[編集]

1950年代はFCバルセロナレアル・マドリードの2強のリーグ支配が開始された時代だった。1930年代から1950年代には外国人選手数に厳しい制限が課せられ、ほとんどの期間は外国人選手の登録は3人までに限られた。しかし1950年代、2強はルールの穴を突いてアルフレッド・ディ・ステファノフェレンツ・プスカシュラディスラオ・クバラなど外国出身スター選手を出場させた。クバラに率いられたバルセロナは1951-52シーズンと1952-53シーズンに2連覇し、ディ・ステファノやプシュカーシュ、フランシスコ・ヘントなどが核となったレアル・マドリードは1950年代後半のリーグを支配した。1953-54シーズンと1954-55シーズンに2連覇し、1955-56シーズンはアスレティック・ビルバオが間隙を突いたが、1956-57シーズンと1957-58シーズンにもレアル・マドリードが優勝した。またこの時代のレアル・マドリードはUEFAチャンピオンズカップで5連覇を達成した。エレーラ監督に率いられたバルセロナは、ルイス・スアレスを擁して1958-59シーズンと1959-60シーズンに2連覇し、スアレスはスペイン人として初めてバロンドールを受賞した。

1960年代・1970年代[編集]

1961年から1980年まではレアル・マドリードがプリメーラ・ディビシオンを支配し、この期間だけで14回も優勝した。1960-61シーズンから1964-65シーズンまで5連覇を達成し、その他にも2回の3連覇(1966-67シーズンから1968-69シーズン、1977-78シーズンから1979-80シーズン)を果たした。アトレティコ・マドリードも1965-66シーズン、1969-70シーズン、1972-73シーズン、1976-77シーズンの4回優勝したが、その他のクラブではバレンシアCFが1970-71シーズンに、ヨハン・クライフを擁したバルセロナが1973-74シーズンにマドリード勢の牙城を崩すのみに終わった。

1976-77シーズンまではプリメーラ(1部)、セグンダ(2部)、テルセーラ(3部)、ディビシオネス・レヒオナレス(4部以下、地域リーグ)という構成だったが、1977年にテルセーラとレヒオナレスが改編され、セグンダとテルセーラの間にセグンダ・ディビシオンBが創設された。これにより、1977-78シーズンからはプリメーラ(1部)、セグンダ(2部)、セグンダB(新3部)、テルセーラ(新4部)、レヒオナレス(新5部以下、地域リーグ)という構成に変更された。

1980年代[編集]

レアル・マドリードの栄光の時代は過ぎ去り、1980-81シーズンと1981-82シーズンにはレアル・ソシエダが初優勝を含む2連覇を飾った。1982-83シーズンと1983-84シーズンには、ソシエダと同じバスク州のクラブであるアスレティック・ビルバオが2連覇を達成した。1984-85シーズンには、テリー・ベナブルズ監督がバルセロナを優勝に導いたが、1985-86シーズンから1989-90シーズンにはレアル・マドリードが2度目の5連覇を達成した。レオ・ベーンハッカー監督が指揮し、エミリオ・ブトラゲーニョマノロ・サンチスマルティン・バスケスミチェルミゲル・パルデサウーゴ・サンチェスなどを擁したチームはキンタ・デル・ブイトレ(ハゲワシ部隊)と称された。

1990年代[編集]

1988年にはヨハン・クライフがバルセロナ監督に就任し、1990-91シーズンにはエル・ドリーム・チームと呼ばれるチームで3年ぶりの優勝を飾った。1991-92シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは決勝に進出し、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行なわれた決勝ではUCサンプドリア(イタリア)を破って初優勝を飾った。国内リーグでは1993-94シーズンまで4連覇を達成した。クライフ監督は在任中に国内外で10個のタイトルを獲得し、ひとりの監督によるタイトル数のスペイン記録を作った。エル・ドリーム・チームはジョゼップ・グアルディオラロナルト・クーマンミカエル・ラウドルップロマーリオフリスト・ストイチコフなどで構成された。1984年から1996年にかけて、リーガのトロフィーは2強が独占した。

1992-93シーズンから2003-04シーズンの12シーズンにおいて、デポルティーボ・ラ・コルーニャは計10シーズンで3位以内に入った。1994-95シーズンにはコパ・デル・レイで初優勝し、1995-96シーズンにはスーペルコパで初優勝。ハビエル・イルレタ監督に率いられ、1999-2000シーズンにはリーグ戦で初優勝を飾った。

1995-96シーズンにはアトレティコ・マドリードが19シーズンぶりのリーグ優勝を飾ったが、アトレティコはこの後長い低迷期に入ることになる。翌シーズンにはレアル・マドリードが優勝した。バルセロナではまたもオランダ人のルイ・ファン・ハールが監督に就任し、ルイス・フィーゴルイス・エンリケリバウドなどの名選手を集め、1997-98シーズンと1998-99シーズンに2連覇した。1990年代、レアル・マドリードは国内リーグで2度しか優勝していないが、1997-98シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝でユヴェントスFC(イタリア)を破り、32年ぶりの優勝を果たした。

2000年代[編集]

エクトル・クーペル監督に率いられたバレンシアCFは1999-2000シーズンと2000-01シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで準優勝した。後任のラファエル・ベニテス監督は2001-02シーズンにリーグ優勝し、2003-04シーズンには国内リーグとUEFAカップの2冠に導いた。国内外でバレンシアとタイトルを争ったのがレアル・マドリードであり、2000-01シーズンと2002-03シーズンにリーグ優勝し、1999-2000シーズンと2001-02シーズンにUEFAチャンピオンズリーグで優勝。1999-2000シーズンのUEFAチャンピオンズリーグはスペイン勢同士の決勝となった。2001-02シーズンは決勝でバイエル・レバークーゼン(ドイツ)と対戦し、グラスゴーのハムデン・パークジネディーヌ・ジダンが決勝点を決めた。2000年代前半から中盤にかけてのレアル・マドリードはロス・ガラクティコスと呼ばれ、ルイス・フィーゴ、ジダン、ロナウドデビッド・ベッカムなどのスター選手が在籍した。

2004-05シーズン、ロナウジーニョを擁したバルセロナは21世紀初の優勝を飾り、2005-06シーズンには国内リーグとUEFAチャンピオンズリーグの2冠を達成した。レアル・マドリードはラウル・ゴンサレスルート・ファン・ニステルローイなどを擁し、2006-07シーズンと2007-08シーズンに2連覇した。2000年代後半にはジョゼップ・グアルディオラ監督率いるバルセロナが新たな黄金期を迎え、ラ・マシアと呼ばれる下部組織出身選手(リオネル・メッシシャビアンドレス・イニエスタなど)を中心としたチームで2008-09シーズンから2010-11シーズンまで3連覇した。グアルディオラ監督は在任中に国内外で14個のタイトルを獲得し、クライフの記録を破った。

2010年代[編集]

2011-12シーズン、ジョゼ・モウリーニョ監督に率いられたレアル・マドリードはリーグ歴代最多の勝ち点100を記録し、32回目の優勝を飾った。また、得点数(121)、通算勝利数(32)、アウェーでの勝利数(16)もリーグ記録を更新した。

しかし翌2012-13シーズン、バルセロナが同じくリーグ歴代最多タイとなる勝ち点100を記録し優勝。ホームでの勝利数(18)はリーグ最多記録を単独で更新した。

2013-2014シーズン、ディエゴ・シメオネ監督率いるアトレティコ・マドリードがレアル・マドリード、バルセロナと熾烈な優勝争いを繰り広げ、最終節に勝ち点差3の2位バルセロナとの直接対決に引き分け18シーズンぶり10回目のリーグ優勝を達成した。
アトレティコ・マドリードはクラブの勝ち点記録を更新した。レアル・マドリード、バルセロナ以外のチームが優勝したのは2003-2004シーズンのバレンシア以来10年ぶりのことであった。

リーグ[編集]

構造[編集]

プリメーラ・ディビシオン (1部リーグ)
20チーム
下位3チームは自動的にセグンダ・ディビシオンへ降格
セグンダ・ディビシオン (2部リーグ)
22チーム
上位3チームは自動的にプリメーラ・ディビシオンへ昇格だったが、2010-11シーズンから上位2チームが自動昇格で3〜6位チームがホームアンドアウェイのトーナメント方式によるプレーオフを行い勝ったチームが昇格に変更された。なお、同組織の下部クラブは上位クラブと同じディビシオンに属せないため昇格できない。また、3〜6位に位置してもプレーオフに参加できない。2010-11シーズンはFCバルセロナBが3位でシーズンを終えたが、これにより4〜7位のチームでプレーオフが行われた。
下位4チームは自動的にセグンダ・ディビシオンBへ降格
セグンダ・ディビシオンB (2部リーグB)
4グループで各20チーム
各グループの上位4チームで新たに4チーム4グループでのプレーオフを行い、各グループで1位になった4チームがセグンダ・ディビシオンへ昇格
各グループ下位4チームの計16チームが自動的にテルセーラ・ディビシオンへ降格
各グループ16位の4チームが降格プレーオフを行い2チームが降格
テルセーラ・ディビシオン (3部リーグ)
18グループで各20 - 22チーム
各グループの上位4チームがプレイオフへ進出、新たに18グループに振り分け、それぞれを勝ち抜いた18チームがセグンダ・ディビシオンBへ昇格
各グループの下位3チームにディビシオネス・レヒオナレス(地域ディビション)への降格の可能性がある。しかし、その数は年によって変わる。

備考[編集]

1999 - 2000シーズンから現行のルールに移行した。
同一クラブの下部チーム(Bチーム、Cチーム)もリーグに参加できるが、上部チームより下位のリーグにしか所属できない。
プリメーラ・ディビシオンではEU外枠の選手は3人までしか登録できない。

国内カップ戦[編集]

コパ・デル・レイ
スーペルコパ・デ・エスパーニャ - 前シーズンの国内リーグ戦優勝チーム対国内カップ戦優勝チームで行われるカップ戦。次シーズンの開幕前に行われる。
コパ・フェデラシオン - コパ・デル・レイの参加資格がないセグンダBテルセーラ所属のチーム、またはコパ・デル・レイ1回戦で敗退したセグンダBテルセーラ、地域リーグ所属チームで争うカップ戦。
コパ・デ・ラ・リーガ - 1982年から開催され、1986年に終了した。

国際大会での主要な戦績[編集]

※2018~19シーズン終了現在

UEFAチャンピオンズリーグ優勝 18回
レアル・マドリード (13回,1956,1957,1958,1959,1960,1966,1998,2000,2002,2014,2016,2017,2018)
FCバルセロナ (5回,1992,2006,2009,2011,2015)
UEFAチャンピオンズリーグ準優勝 11回
FCバルセロナ (3回,1961,1986,1994)
レアル・マドリード (3回,1962,1964,1981)
アトレティコ・マドリード (3回,1974,2014,2016)
バレンシアCF (2回,2000,2001)
UEFAヨーロッパリーグ優勝(注 : UEFAカップ、フェアーズカップ優勝を含む) 17回
セビージャFC (5回,2006,2007,2014,2015,2016)
FCバルセロナ (3回,1958,1960,1966)
バレンシアCF (3回,1962,1963,2004)
アトレティコ・マドリード (3回,2010,2012,2018)
レアル・マドリード (2回,1985,1986)
レアル・サラゴサ (1回,1964)
UEFAヨーロッパリーグ準優勝(注 : UEFAカップ、フェアーズカップ準優勝を含む) 8回
アスレティック・ビルバオ (2回,1977,2012)
エスパニョール (2回,1988,2007)
FCバルセロナ (1回,1962)
バレンシアCF (1回,1964)
レアル・サラゴサ (1回,1966)
アラベス (1回,2001)
UEFAカップウィナーズカップ優勝(注 : UEFAカップに統合) 7回
FCバルセロナ (4回,1979,1982,1989,1997)
レアル・サラゴサ (1回,1955)
アトレティコ・マドリード (1回,1962)
バレンシアCF (1回,1980)
UEFAカップウィナーズカップ準優勝(注 : UEFAカップに統合) 7回
アトレティコ・マドリード (2回,1963,1986)
FCバルセロナ (2回,1969,1991)
レアル・マドリード (2回,1971,1983)
RCDマヨルカ (1回,1999)
UEFAスーパーカップ優勝 14回
FCバルセロナ (5回,1992,1997,2009,2011,2015)
レアル・マドリード (4回,2002,2014,2016,2017)
バレンシアCF (2回,1980,2004)
アトレティコ・マドリード (2回,2010,2012)
セビージャFC (1回,2006)
FIFAクラブワールドカップ/インターコンチネンタルカップ優勝 10回
レアル・マドリード (6回,1960,1998,2002,2014,2016,2017)
FCバルセロナ (3回,2009,2011,2015)
アトレティコ・マドリード (1回,1974)

観客動員とテレビ放映権[編集]

観客動員[編集]

2016/2017シーズンの平均観客動員数は2万6247人で欧州リーグで3位であった[4]

テレビ放映権[編集]

各クラブが個別に放映権について放送局と交渉し契約を結んでいたため、長年リーグ全体の放映権収入の41%がバルセロナとレアル・マドリードの2チームに渡る不均衡が続いていた。しかし2016-17シーズンからはリーガによって一括管理され、放映権による収益全体の45パーセントはプリメーラ(1部)のクラブに均等に分配され、22.5パーセントは直近5年間に行われたリーグ戦の成績を参考に配られることになり、さらに他の22.5パーセントは観客動員数などの要素を考慮して支払われ、残りの10パーセントはセグンダ(2部)へ渡ることとなった。[5]

日本人選手[編集]

1996年に財前宣之CDログロニェスへ期限付き移籍で加入し、スペイン1部クラブに所属する日本人選手となった。しかし、怪我の影響もありスペインデビューは叶わなかった[6]

2000年にレアル・バリャドリードへ移籍した城彰二が日本人初のスペイン1部リーグデビューと初ゴールを記録した(スペイン2部では安永聡太郎が1997年に得点を挙げている)[6]

2005年にはRCDマヨルカに移籍した大久保嘉人がデビュー戦で得点を挙げるなど活躍し、チームの1部残留に貢献した[6]

その後、イタリアで活躍した中村俊輔やドイツで活躍した清武弘嗣などがスペイン1部でプレーするも目立った活躍が出来ず、ニュースサイトでは「(スペインは日本人にとって)鬼門」と言われるようになった[7]

2015年に乾貴士がドイツからSDエイバルへ移籍すると、レギュラーとして活躍し、2019年には日本人として初めてスペイン1部リーグ100試合出場を達成[8]。2019年現在、日本人で最多の出場記録を持ち、日本人としてスペインで最も成功した選手となった[6]

2019年頃には、アンドレス・イニエスタフェルナンド・トーレスダビド・ビジャなど元スペイン代表がJリーグのクラブに所属[9]。Jリーグのスペイン人選手増加とは直接関係無いが、同時期に日本人選手もスペインリーグに増加。乾の他に2部ではあるが、柴崎岳(2017年に移籍)や岡崎慎司香川真司と日本代表選手が移籍し[10]久保建英レアル・マドリード安部裕葵FCバルセロナに共にBチームながら移籍し、世界を代表する強豪2クラブに日本人選手が所属する事になった[11]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

世界のサッカー

外部リンク[編集]

リーガ・エスパニョーラ(La Liga)公式サイト
リーガ・エスパニョーラ - スポナビライブ
LaLiga (@LaLiga) - Twitter(スペイン語)
LaLigaJPN (@LaLigaJPN) - Twitter
LaLiga - Facebook(スペイン語)
laliga (laliga) - Instagram(スペイン語)
出典:Wikipedia
2020/03/27 14:00
ソ人気記事ランキング
2020/03/30 更新
 1位まわり将棋
 2位今村昌平
 3位3月29日
 4位成宮いろは
 5位ジャーマンウイングス9525便墜落事故
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant