ラリー・ドビー
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1.来歴・人物
1942年から1944年、および1946年から1947年シーズン途中までニグロリーグ・ニューアーク・イーグルスでプレー。同年7月2日にクリーブランド・インディアンスと契約し、7月5日にMLBデビュー。同年4月15日のジャッキー・ロビンソンに次いで黒人としては2人目のMLB選手で、アメリカンリーグではドビーが初めてとなった。ニグロリーグにおける神話的大投手のサチェル・ペイジとも後にチームメイトとなっている。

1948年のワールドシリーズでは第4戦で決勝本塁打を放ち、白人のスティーブ・グローメクが勝利投手になった時、ロッカーでカメラマンから共に抱き合う姿を写したいと言われ、すんなりと応じたその写真は、当時はまだ人種間の確執があった頃だけに貴重な1枚として残っている[1]

1952年本塁打王のタイトルを獲得。1954年には本塁打王と打点王のタイトルを獲得し、アメリカンリーグのMVP投票ではヨギ・ベラに次ぐ票を集めた。

1956年シカゴ・ホワイトソックスに移籍するが、1958年にインディアンスに復帰。しかし、翌1959年デトロイト・タイガースに移籍し、シーズン途中にホワイトソックスに移籍と、晩年は移籍を繰り返し、1959年限りで現役を引退した。

現役引退後は酒類の小売業者として働いていたが、1962年ドン・ニューカムとともに中日ドラゴンズに入団し、日本を訪れた。3年ぶりの現役復帰となり年齢的な衰えは隠せず1シーズン限りで退団したものの、元メジャーリーガーということで話題になった。

引退後はモントリオール・エクスポズ、インディアンス、ホワイトソックスのコーチを歴任し、ホワイトソックスのコーチを務めていた1978年シーズン途中にボブ・レモンに代わり、フランク・ロビンソンに次いで黒人としては2人目のMLB監督に就任した[1]

1994年、インディアンスが新球場ジェイコブス・フィールドをオープンした時のセレモニーにて、ドビーの在籍時の背番号14』はインディアンスの永久欠番に指定された。

1998年ベテランズ委員会の選考によりアメリカ野球殿堂入り。これは日本プロ野球でのプレー経験者としては史上初のことであった。

2003年6月18日のためニュージャージー州モントクレアの自宅にて死去、79歳没。

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(2.1.年度別打撃成績)
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出典:Wikipedia
2019/11/08 21:31
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