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ヨーゼフ・ゲッベルス
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2.家庭生活
1931年12月19日、ゲッベルスはマクダ・クヴァントと結婚する。マクダの前夫は実業家のギュンター・クヴァントで、一男ハラルトドイツ語版があった。そのハラルトも養子としてゲッベルス家に迎えられたが、ゲッベルスはハラルトにも分け隔てなく愛情を注いでいたという。これによりナチス幹部との血縁関係を得たギュンター・グヴァントは、強制収容所から徴収した労働者を自身の工場で酷使するなどして巨万の富を築いた[1]クヴァント家は現在、BMWファルタなどを所有するドイツで最も富裕な一族となっている)。ハラルトは1940年にドイツ空軍の降下猟兵に志願入隊して各地を転戦し、最終的に中尉にまで昇進したが、1944年にイタリアで重傷を負ってイギリス軍の捕虜となり、ゲッベルスの家庭で唯一戦後まで生き残った。ハラルトは戦後に機械工学を修め、1954年に実父の死去によってファルタなどの大企業を受け継いだが、1967年に乗機の墜落事故で死亡した。ゲッベルスとマクダ夫人は生涯で六人の子供をもうけた。上から長女ヘルガ(1932年生)、二女ヒルデ(1934年生)、長男ヘルムート(1935年生)、三女ホルデ(1937年生)、四女ヘッダ(1938年生)、五女ハイデ(1940年生)である。一見模範的なドイツ家庭を作り上げてそれを宣伝した。

ゲッベルスの家庭はナチ党の高官たちが集う憩いの場でもあったが、宣伝では模範的だった家庭も、実際にはゲッベルスの奔放な女性関係によりしばしば危機に瀕した。ゲッベルスは、ナルシスト特有の自信と映画界での権力を背景に多くの女優に関係を迫っていた。

1938年のチェコ出身の女優リダ・バーロヴァとの関係は、双方ともに本気の恋愛関係となり、マクダ夫人との離婚、バーロヴァとの結婚を決意するまでに至った。総統ヒトラーはこれに激怒したが、ゲッベルスは「宣伝大臣を辞任して同盟国である駐日本大使となり、バーロヴァとともにドイツを去りたい」とまで申し出た。しかしヒトラーはこれを許さず、ゲッベルスにはバーロヴァとの手切れを、妻には結婚生活の継続を命じるというスキャンダルに発展した。マクダ夫人はこれに感謝し、ヒトラーに大変な信頼を寄せることとなる。

ベルリン郊外、ヴァンドリッツドイツ語版のボーゲン湖ドイツ語版湖畔にあったゲッベルスの邸宅は、戦後、ソ連軍接収後に、東ドイツが周囲に建物群を増築し、自由ドイツ青年団の教育施設となった。1990年に東ドイツ国家が消滅すると、ベルリン市の管轄に移った。1999年に空き家となるとネオナチの聖地化するのを恐れ、建物を閉鎖して管理していたが、財政難により売却することになった[213][214]。しかし2013年現在も買い手がついていない[215]

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(3.1.身体的特徴)
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出典:Wikipedia
2020/02/15 23:30
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