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ユニバーサル・スタジオ
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2.沿革
2.6.ユニバーサル・インターナショナルの発足とデッカによる買収
1945年、イギリスの起業家でパインウッド・スタジオの経営者でもあったジョセフ・アーサー・ランク(J. Arthur Rank)はアメリカでの存在感を高めようとし、自身の会社及びユニバーサル・ピクチャーズ、インディペンデント映画会社のインターナショナル・ピクチャーズ、映画プロデューサー・ケネス・ヤング(Kenneth Young)の会社の4社を合併させた。こうしてユナイテッド・ワールド・ピクチャーズ(United World Pictures)が誕生したが1年もたたずに経営難から解消してしまう。ランクとインターナショナル・ピクチャーズはなおもユニバーサルに対する興味を持ち続け、再編の結果ユニバーサル・インターナショナル・ピクチャーズUIP, Universal-International Pictures Inc.)を成立させた。インターナショナル・ピクチャーズの創業者でルイス・B・メイヤーの義理の息子でもあったウィリアム・ゲーツ(William Goetz)は改名後のユニバーサル・インターナショナル・ピクチャーズで製作部門トップとなった。配給と著作権管理はユニバーサル・ピクチャーズの名で行われたが、映画の製作や輸出入、製作部門の作った映画の著作権管理などはユニバーサル・インターナショナル・ピクチャーズが行っていた。ゲーツは新しい会社の地位を高めるためにそれまでユニバーサルが手がけていたB級映画(ミュージカル、コメディ、西部劇など65分以内の短編・中編映画)の製作を中止し、モンスター映画やアラビアン・ナイト・シリーズなどは打ち切ることを決めた。

ゲーツは意欲的な番組製作を開始した。ユニバーサル・インターナショナルはランクの製作するイギリス映画、たとえばデヴィッド・リーンの『大いなる遺産』やローレンス・オリヴィエの『ハムレット』などのアメリカでの配給を請け負った。また劇場以外での上映という手付かずの分野に目をつけ、ホーム・ムービー(個人宅での上映用に、商業映画を8mmフィルムや16mmフィルムにして販売・レンタルするもの)の業者であるキャッスル・フィルムス(Castle Films)の株の過半数を1947年に買収し、1951年には完全子会社とした。以後30年にわたりキャッスルはユニバーサルの所有するライブラリからの映画をホーム・ムービー愛好家やコレクターに販売し続けた。

映画製作部門はなおも苦闘を続けていた。『卵と私』(The Egg & I)『殺人者』(The Killers)『裸の町』(The Naked City)などわずかなヒットを除き、ユニバーサル・インターナショナルの新しい劇場用映画は売り上げ不振に陥っていた。1940年代末にはゲーツはスタジオを退き、ユニバーサルは再度かつてのような低予算映画を製作し始めた。しゃべるロバ・フランシスを主人公にした『Francis the Talking Mule』シリーズや、『卵と私』からのスピンオフである『ダイナマイト夫婦』(Ma and Pa Kettle)シリーズなどが新しいラインナップの中心となった。さらにアボットとコステロシリーズの新作も再開しスタジオの大きな収益となった(この中にはアボットとコステロが同じくユニバーサルの名物キャラクターであったフランケンシュタインなどと共演する『凸凹フランケンシュタインの巻』 Abbott and Costello Meet Frankenstein といったシリーズもある)。この時点で既にランクはユニバーサルへの興味を失い、自らの持ち分を投資家ミルトン・ラックミル(Milton Rackmil)へと売却した。ラックミルの経営するデッカ・レコード1952年にユニバーサルの経営権を完全に手に入れた。

新たな親会社デッカはユニバーサルの映画製作費を低いままとしたが、これは当時激変期にあったアメリカの映画ビジネスではかえって有利となった。映画館網から配給・製作までを支配していた他のメジャー各社は、「アメリカ合衆国対パラマウント映画」裁判で司法省などに独占禁止法違反で訴えられて1948年に敗北し、映画館網から契約俳優までつぎつぎと放出し始めていた。主要なスター俳優たちはフリーの俳優となって適切な時期に適切な会社の適切な映画で出演することを選ぶようになり、俳優事務所が力を持ち始めていた。1950年、大手俳優事務所ミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカ(MCA)で俳優のジェームズ・スチュワートの代理人を務めていたルー・ワッサーマン(Lew Wasserman)は、ユニバーサルとスチュワートとの契約交渉でそれまでの慣例を変える決定を行う。ワッサーマンの結んだ契約では、スチュワートは高い出演料をとらない代わりに、3本の出演映画の収益から一定の取り分を得ることとなっていた。そのうちの1本、『ウィンチェスター銃'73』(Winchester '73)は大ヒットとなりスチュワートは巨額の取り分を手にした。こうした出来高払いがユニバーサル映画の、さらに後のハリウッドの主流となってゆく。

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出典:Wikipedia
2020/02/23 22:33
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2020/02/24 更新
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