ユニリーバ
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1.準男爵創設まで
イギリスのウィリアム・ヘスケス・リーバ卿(William Hesketh Lever)がウォリントンで始めた石けん会社「リーバ・ブラザーズ(Lever Brothers)」と、オランダのマーガリン会社「マーガリン・ユニ(Margarine Unie)」が、1930年「ユニリーバ」として経営統合した[2]

リーバ・ブラザーズは1885年に設立された。それからドイツ帝国アメリカ合衆国が太平洋諸島に植民地を積極的に建設したので、1900年代初頭のパーム油不足を招くこととなった。第一次世界大戦のときドイツが貿易を制限したので、政府が卿にマーガリン製造を依頼した。卿は快諾したので、オランダ企業家と競争するようになった(Antonius Johannes Jurgens, Samuel van den Bergh)。彼らを相手に卿の会社はトラスト化していった。西アフリカのパーム油会社、ロンドンのピアーズ石けん(Pears)、ウォールズ・アイスクリーム、ウォールズ・ソーセージ(Wall's Meat)、石けん会社のBOCM(British Oil and Cake Mills Ltd., today's BOCM Pauls)を買収した。これに対抗してオランダ企業家は1927年マーガリン・ユニへ結集、ピーナツ・バター会社(Calv? Delft)を買収してから急拡大した。[3]

リーバ・ブラザーズとマーガリン・ユニは世界恐慌に直面して結局はユニリーバという大同団結を果し[4]、恐慌対策委員会を立ち上げてがんばるのだが、溝は埋まらなかった。慢性的に英蘭各法人の収益割合が1対2であった。そこで1937年、イギリス法人のクーパー(D'Arcy Cooper)が、オランダ法人へリーバー・ブラザーズUSなどの海外資産を売却のうえ企業再編を実現した。[3]

1939年、国際決済銀行総裁ヨハン・バイエン(Johan Beyen)がユニリーバの重役となった[5]。同年4月、ドイツ・ユニリーバの社長としてBIS・ライヒスバンク勤務暦のあるカール・ブレッシング(Karl Blessing)が招かれている[6]。実際、ユニリーバはドイツに多くの大工場をもちナチス・ドイツの経済に対応していた。

1941年7月、クーパーは準男爵(Cooper Baronetcy of Singleton in the County of Sussex)となった。

[6]次ページ
(2.技術の渉猟と経営の拡大)
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出典:Wikipedia
2018/11/21 03:30
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