ヤマト王権
▼人気記事ランキング
1.名称について
1970年代前半ころまでは、4世紀ころから6世紀ころにかけての時代区分として「大和時代」が広く用いられ、その時期に日本列島の主要部を支配した政治勢力として「大和朝廷」の呼称が一義的に用いられていた。

しかし1970年代以降、重大な古墳の発見や発掘調査が相次ぎ、理化学的年代測定年輪年代測定の方法が確立し、その精度が向上したこともあいまって古墳の編年研究が著しく進捗し、「大和」「朝廷」という語彙で時代を表すことは必ずしも適切ではないとの見解が現れ、その見解が日本国での歴史学の学会などで有力になり、そのため「大和時代」ではなく、かわって「古墳時代」と呼称するのが日本国での日本史研究および日本国での高等教育では一般的となっている[1]

古墳研究は文献史学との提携が一般的となって、古墳時代の政治組織にもおよび、それに応じて古墳時代の政権について「ヤマト王権」や「大和政権」等の用語が使用され始めた。1980年代以降は、「大和政権」、「ヤマト政権」、それが王権であることを重視して「ヤマト王権」、「大和王権」と記述されるようになる。

しかし、引き続き「大和朝廷」も一部の研究者によって使用されている[2]。これは、「大和(ヤマト)」と「朝廷」という言葉の使用について、学界でさまざまな見解が並立していることを反映している。

[6]次ページ
(1.1.「大和」をめぐって)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2019/08/09 10:30
ソ人気記事ランキング
2019/08/17 更新
 1位島田さくら
 2位日本
 3位玄倉川水難事故
 4位雅樹ちゃん誘拐殺人事件
 5位吉展ちゃん誘拐殺人事件
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant