サービス終了のお知らせ
モルドバ
▼人気記事ランキング
2.歴史
2.6.ソ連からの独立
1989年8月31日、その4日前に発生したキシニョフにおける60万人規模の大規模なデモ行進の影響を受け、モルドバ語がモルダビア・ソビエト社会主義共和国の公用語となる。また同年の11月12日、同国の少数民族の住民であるガガウズ人により自治共和国ガガウズ・自治ソビエト社会主義共和国』(GASSR)の建国が宣言されるが、この自治共和国の設立はMSSR政府に認められずじまいとなっている。

1990年、最初の国会議員選挙が自由選挙で行なわれ、フロントゥル・ポプラルルーマニア語版英語版(Frontul Popular)の指導者の一人ミルチャ・ドルクルーマニア語版英語版(Mircea Druc)による政府が設立される。その傍らMSSR最高会議ロシア語版は同年6月5日に同国憲法を改正。

ここからモルダビア・ソビエトはソビエト社会主義共和国・モルドバ(SSR Moldova)となり、6月23日に主権(ならび共和制)を宣言した。一方で同年8月19日にGASSRがガガウズ共和国ルーマニア語版としてソ連からの独立を宣言。さらに9月2日、沿ドニエストル地域では現地に住むロシア語系(スラブ系)住民によって第2回臨時国会がティラスポリで開催され、『沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国(現在の沿ドニエストル共和国)』の創設が宣言される。

1991年8月に「モルドバ共和国」として独立を宣言し、1991年12月21日独立国家共同体(CIS)に加盟。

これに対して沿ドニエストル最高会議は同年8月25日、同領土内にUSSR憲法とUSSR法の効果を保持する「沿ドニエストル地域の独立に関する宣言」を採択する。

なお、ソ連時代のモルダビア・ソビエト社会主義共和国の国旗と国章は、スラブ系住民が多いことから分離独立を宣言した沿ドニエストルがそのまま継承し、独立以降のモルドバの国旗はルーマニアとよく似たものに変更した。これに伴って都市名の表記も、キシニョフ(Кишинёв)をキシナウ(Chi?in?u)というように、ロシア語からルーマニア語へ全て戻した。

同年12月25日ソ連が解体されたことで、同国は晴れて独立国家となった。

[4]前ページ
(2.5.ソ連当局の政策)
[6]次ページ
(2.7.独立からの流れ)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2020/02/02 22:00
ソ人気記事ランキング
2020/03/30 更新
 1位まわり将棋
 2位今村昌平
 3位3月29日
 4位成宮いろは
 5位ジャーマンウイングス9525便墜落事故
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant