ムスチスラフ2世
▼人気記事ランキング
概要
ムスチスラフ2世古ルーシ語:Мьстиславъ Из?славичь、? - 1170年)はキエフ大公(在位:1167年 - 1169年)。イジャスラフ2世の長男。息子には南西ルーシの雄ロマン大公がいる。
来歴
出生年は不明。初出はラヴレンチー年代記の1146年の記事、次いでイパーチー年代記の1147年 - 1148年に登場。当初、ペレヤスラヴリ・ルースキーの公で、1148年に、ユーリー・ドルゴルーキーの子グレプをこの町で撃退した。
1151年 父を助けるためにハンガリー軍を率いるが、ユーリー・ドルゴルーキーの同盟者であるガーリチ公ウラジーミルにより打ち敗れられる。
1154年までペレヤスラヴリの公。
1157年 キエフに座すユーリー・ドルゴルーキーに対し、チェルニーゴフ公と共に軍を向けるが、この時にユーリーはキエフで死去した。
1159年 キエフを占領し、自分の叔父スモレンスク公ロスチスラフを大公位につけた。
1167年 叔父が死んだ後、ムスチスラフはキエフに招致され、キエフ大公になった。
1168年 ポーロヴェツ遠征。
1169年 アンドレイ・ボゴリュプスキーのキエフ攻撃にこらえきれず、ウラジーミル・ヴォルィンスキーに退去する。
1170年 再度、短期間だがキエフを占領。同年、ウラジーミル・ヴォルィンスキーで死去。
子女
ポーランド王ボレスワフ3世の娘アニェスカ(ru)と結婚し、3人の息子をもうけた。
ロマン(1152年 - 1205年)
スヴャトスラフ…ベレスチエ公
フセヴォロド(1196年没)
出典:Wikipedia
2017/05/28 12:01
ソ人気記事ランキング
2019/09/23 更新
 1位日本
 2位清須会議 (小説)
 3位清洲会議
 4位逆鉾昭廣
 5位9月22日
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant