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マッカートニー (アルバム)
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1.解説
アルバム『アビイ・ロード』リリース直前の1969年9月30日、アメリカ・キャピトル・レコードとの契約書にサインするためアップル社に集まったビートルズの4人であったが、その席上でジョン・レノンはビートルズから「離婚」したい、と脱退の意思を明らかにする。マネージャーのアラン・クラインによりこの事実は伏せられることとなったが、それ以降ジョン以外の3人による『レット・イット・ビー』の追加録音(1970年1月3日1月4日)などが行われたのみで、グループとしての活動は停止。ジョンはプラスティック・オノ・バンドとしてレコーディングやライヴ活動を行い、ジョージ・ハリスンデラニー&ボニーのツアーに参加するなど、各自ソロ活動へと移行していく。

ポールは、ジョンの脱退宣言直後、ビートルズの事実上の「解散」という事態に直面して精神的にすっかり打ちのめされ、スコットランドキンタイア岬の自宅農場でしばらく引きこもることになる[1]。ポールは一日中ベッドに横たわり、ひげも剃らず、酒に溺れ、一時はヘロインにまで手を出した[2]。だが、ポールは妻リンダのおかげでようやく立ち直り、初のソロ・アルバムの制作を始める。1969年末に機材のチェックを行い、1970年に入ると本格的なレコーディングを開始した。大部分はロンドン・キャヴェンディッシュ・アヴェニューの自宅に4トラックのマルチトラック・レコーダーを持ち込んで録音されたが、一部のパートはロンドンのモーガン・スタジオで録音。また、「エヴリナイト」、「恋することのもどかしさ」、「男はとっても寂しいもの」はビリー・マーティンという偽名を使ってEMI第2スタジオでレコーディングされている[3]

全ての楽器をポール一人で演奏し、リンダ・マッカートニーは一部の曲のバック・ヴォーカルや、「クリーン・アクロア」の呼吸音を担当。

完成後にアルバムの発売を要求してきたポールに対し、ビートルズのマネージメントを担当していたアラン・クレインはビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』を優先させるため、本作の発売日を遅らせようとする。しかし、ポールにはその気は無く、クラインの意を汲んで来たリンゴ・スターを激しい口調で追い返してしまう。ポールの思いを知ったリンゴの説得でクラインらは『レット・イット・ビー』発売一月前のリリースを許可する。1970年4月10日にマスコミに配布されたサンプル版に添付した質疑応答でポールはビートルズ脱退を表明し、その1週間後の4月17日に発売。アメリカでは4月20日に発売された(日本では6月25日に発売)。ポールより先に事実上ビートルズを脱退していたジョンは、アルバム発売と合わせて発表されたポールの脱退宣言を「ポールはNo.1のPRマンだ」と皮肉り、以降数年に渡って二人の関係は悪化することとなる。

このアルバムは全英2位、アメリカの「ビルボード」誌では、3週連続最高位第1位を獲得し、1970年度年間ランキング第27位、「キャッシュボックス」誌でも、3週連続最高位第1位を獲得し、1970年度年間ランキング第9位を獲得、アメリカだけで200万枚以上のセールスを記録している(日本では、オリコンチャートで最高13位)。商業的には成功するが、シンプルな音作りであることと、収録曲の約半分をインストゥルメンタル・ナンバーが占めていることなどから、当時のマスコミからは酷評する声も少なくなかった。しかし、ポールならではの美しいメロディは随所に散りばめられており、彼のパーソナルな部分を垣間見ることの出来る作品として、また、宅録が定着した現在では、その先駆的作品としても再評価されている。

本作からはシングル・カットはなく、1971年2月発表の「アナザー・デイ」が、ポールのファースト・ソロ・シングルとなった。1977年にはウイングスのライヴ録音による「恋することのもどかしさ」が、邦題を「ハートのささやき」に変更してシングル発売され、全米10位を記録している。

2011年6月14日(日本では6月22日)、「ポール・マッカートニー・アーカイヴ・コレクション」と題してリマスター版がマッカートニーIIと共に発表された[4]。この際には通常版の他に、未発表の「スーサイド」・「ウーマン・カインド」などデモテイク7曲を収めたCDが付いたデラックス・エディション、さらにウイングス最後となった1979年のカンボジア難民救済コンサートでの演奏を含むDVDおよびリンダの未発表写真などを纏めたハードカバーブック付きのスーパー・デラックス・エディション、そしてアナログ盤(海外のみ)が発売された。

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(2.収録曲)
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出典:Wikipedia
2020/02/18 01:02
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2020/03/29 更新
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