マイケル・ジャクソン
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1.略歴
1.3.移籍と方針転換―ジャクソンズ時代
1975年エピック・レコードに移籍。移籍後は「ジャクソン5」の名前の使用継続が認められなかったため、グループは「ジャクソンズ」として装い新たに再出発することとなった。

ジャクソンズは1976年にアルバム『ザ・ジャクソンズ・ファースト〜僕はゴキゲン』をもって正式にデビューを飾るが、活動初期はモータウン時代同様自主プロデュースをすることが許されず、2作目『ゴーイン・プレイシズ〜青春のハイウェイ』まではギャンブル&ハフをプロデューサーに迎えて制作された。マイケルはこのことに再び強い不満を抱いており、特に2作目についてはオージェイズの古い曲"Love Train"みたいで、必ずしも僕達のスタイルじゃない」「アイデンティティを失いつつあった」と当時の幻滅ぶりを明らかにしている。

初めてメンバーがプロデュースに関わったのは3作目の『デスティニー〜今夜はブギー・ナイト』で、このアルバムはR&Bチャートで3位を獲得するなど、前2作を大きく上回るヒットを記録した。マイケルとランディの作詞作曲によるカットシングル『シェイク・ユア・ボディ』も、全米チャートで7位まで上昇した。

同じく自主プロデュースの4作目『トライアンフ』も全米チャートトップ10入りを果たすなどヒットを記録し、批評家からも高い評価を受けた。特にマイケル自身のペンによる収録曲『キャン・ユー・フィール・イット』について、アンディ・ケルマンが「この曲の超自然的でスケールの大きなリズムは、単なるシングル曲という小さなスケールに収まらず、むしろ花火の演目のフィナーレ的だ」と絶賛するなど、ここにきてようやく作曲家やプロデューサーとしての彼らの力量が認められるようになった。

1978年ミュージカル映画ウィズ』でダイアナ・ロスと共演。この映画の制作現場で、その後3枚のアルバムを共に制作しマイケルの音楽人生を変えることになる音楽家、クインシー・ジョーンズと出会う。

同年、映画のサウンドトラックからのカットシングル『ユー・キャント・ウィン』でエピックからソロデビュー。

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出典:Wikipedia
2020/01/17 21:01
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