マイケル・ジャクソン
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1.略歴
1.2.全米のアイドルに―ジャクソン5時代
1963年、兄弟のグループに加入。キャサリンがジョセフに「この子は歌えるのよ」と助言したことがきっかけであったという。

この頃からグループは「ジャクソン5」と名乗るようになった[7]

1967年には、ニューヨークアポロ・シアターへの進出を果たす。マイケルはそこでジェームス・ブラウンジャッキー・ウィルソンのパフォーマンスを見て学んだという。

1968年1月、スティールタウン・レコードからシングル『Big Boy』でデビュー。

この頃、ライブの前座でボビー・テイラーに出会う。ジャクソン5の素質を見出したボビーは、モータウン・レコードと契約させるべくジャクソン・ファミリーを無理矢理デトロイトに連れていく。それが功を奏し、同年7月にモータウンとの契約に成功する[8]

1969年10月、シングル『帰ってほしいの[9]でメジャーデビューし、全米チャート1位を獲得。可愛らしさ溢れるマイケルの歌声や、ベリー・ゴーディ・ジュニア率いるプロデューサー群による秀逸な楽曲群に加え、ダイアナ・ロスが発掘したという架空の設定も話題となり、グループは全米で人気を博すようになる。

1970年2月、シングル2作目の『ABC』がビートルズの『レット・イット・ビー』に代わり再び1位を獲得。その後、続く『小さな経験』と『アイル・ビー・ゼア』もチャートを制し、デビューから4曲連続で全米チャート1位を獲得するという偉業を成し遂げた。

1971年10月、シングル『ガット・トゥ・ビー・ゼア』[10]でソロデビュー。ソロでも堅調なヒットを重ね、1972年7月発表のシングル『ベン』は、ソロでは初となる全米チャート1位を獲得した。

しかしこの頃から次第に、ジャクソン5とモータウンの方向性の違いが少しずつ露呈し始める。同じモータウン所属のマーヴィン・ゲイスティーヴィー・ワンダーが自身で作詞作曲からプロデュースまで手掛ける中、いつまでもアイドル路線を続けさせられている状況にメンバーやジョセフは強い不満を示すようになった。しかしモータウンは一貫して彼らに曲の自作を許可することはなく、その軋轢は次第に大きくなっていく。再び全米1位に輝いた74年の『ダンシング・マシーン』の成功を除いては、無理矢理なアイドル路線による人気低迷が否めず、彼らは移籍を決意することとなった。

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(1.3.移籍と方針転換―ジャクソンズ時代)
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出典:Wikipedia
2020/01/17 21:01
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