マルエーフェリー
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5.主なトラブル
5.2.「ありあけ」横転事故
2009年11月に、東京から志布志に向かうフェリーが三重県沖で転覆した事故。

11月12日17時に東京港有明フェリーふ頭を出港し、風速15.3m/s、波高4.59m、波周期10秒の強い追い波の状況下で、2400トンの貨物を積み21ノットで志布志港へ航行中の「ありあけ」が、13日午前5時40分頃、三重県沖の熊野灘にて左舷後方から瞬間的に強い波を受けた。これにより右舷側に25度の傾斜が発生し船体が左に急旋回、その後一旦45度まで傾斜した後に、30度から35度程度の傾斜で推移した。左旋回で北北西に変針したことにより右舷側から風を受けるようになったことで一時は傾斜が25度程度まで回復したが、徐々に傾斜が急になった[25]。乗客7人、乗員22人は第四管区海上保安本部により全員救助されたが、船体はその後、同県御浜町にある七里御浜の200メートル沖合の浅瀬で座礁し、約90度傾き横転した[26]

事故原因は、復原力が低下する追い風航行中に左舷方から高波を受けて右舷側に25度の傾斜が発生したことで、固縛されていない積載コンテナが横滑りして固縛されていたコンテナや車両などに荷重が加わり、固縛装置が破断して右舷側に積載物が寄ったため、これにより船体が左急旋回し、旋回中に第二波を受けて傾斜が40度を超えて完全に復原力を失ったことにあった[25]

重油漏れを伴う事故となったため、座礁現場付近では漁業を取りやめるなどの被害が出た。地元では早期撤去を求める声が挙がった[27]。これに対し同社は現地で船体を四分割して撤去する計画を提案した[28]が、周辺環境への影響を懸念する漁協は納得しなかった。交渉の結果[29]、損害の全額補償の明記、安全確認のために漁協が行う試験操業やサンプル調査に掛かる費用負担も盛り込んだ覚書を交わし、船体の撤去を開始した。順調に進めば2010年4月下旬に撤去完了の見込みであった[30]。しかし、2010年3月9日の悪天候の際に、船体を4分割する作業のため船体に入れていた切れ込み部分の金属疲労により、操舵室を含む船首部分など船体の半分近くが崩落した。部品や積荷などが流失し、一部は和歌山県の海岸まで漂着し、新たな漁業被害も発生した。撤去担当業者の深田サルベージは、船体の崩落を受け、撤去完了時期を当初の4月中から6月頃へ下方修正した[31]。最終的に撤去の完了は2010年12月24日までずれ込み、翌年1月4日より現場周辺での漁業は再開の運びとなった[32]

2010年1月13日には、国土交通省九州運輸局局安全環境部長名で安全管理規定に従った船内巡視を徹底することや、貨物を固定するマニュアルを作成することなどを文書で指導された[33][34]。これに対しマルエーフェリーは乗組員による船内巡視を要領に基づき厳格に適用し、安全管理規定にコンテナを含めた作業基準を追加作成し、荒天予想される航海では予め固定が必要とされる車両への固縛は具体的に固縛方法を記し、各船舶に即した固縛マニュアルを作成し各船舶乗組員に周知徹底した旨、国交省九州運輸局鹿児島運輸支局を通じて提出した[35]

この事故は、2014年に韓国で発生したセウォル号沈没事故と比較されることがある。事故の原因こそ異なれど、経緯が良く似ているとされ、また同じ造船所で建造され、そして同じ運航会社に所属するなど共通点は多く、乗客7名だけとはいえセウォル号と異なり死者が無く、船長は最後まで現場で指揮に当たり最後に救助されていることから、セウォル号の事故のあと、韓国で注目された[36][37]

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出典:Wikipedia
2019/04/04 15:30
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