マラッカ王国
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5.外交
5.1.隣接する2つの強国
近接するマジャパヒト王国とアユタヤ朝は交易の相手、食糧の輸入先として重要な関係にあり、敵対することもしばしばあった。建国当初のマラッカ王国はマジャパヒト王国に対抗するためアユタヤに従属しており、毎年一定額の貢納を行っていた[87]。パラメスワラはマラッカ建国以前にアユタヤ王の女婿であるトゥマセク(シンガプラ)の王を殺害したためにアユタヤの南下を招いたと記し、建国後の1407年にもマラッカはアユタヤの攻撃を受けた。2代目の王イスカンダルは義弟をアユタヤへの修好の使節として送り、貢納と引き換えに食糧の供給を受ける協約を結ぶが[94]、明が南海への艦隊の派遣を中止した後にアユタヤからの圧力はより強くなった[23]。ムザッファル・シャーの時代、マラッカはマレー半島の東岸部、セランゴールなどの錫の産地である西岸部に勢力を伸ばすが、勢力の拡大に至ってアユタヤとの利害の対立が顕著になり、1446年のアユタヤの侵入に至る。

イスカンダル・シャーは建国当時に敵対していたマジャパヒトとも良好な関係を築くことに尽力し、パサイを通じてマジャパヒトとの国交を樹立した[89]。イスカンダル以後の対マジャパヒト政策として、『スジャラ・ムラユ』に、マンスール・シャーがマジャパヒトの王女を娶るため、自らジャワに赴いた記録がある。

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出典:Wikipedia
2019/04/03 16:30
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