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マヨルカ王国
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1.歴史
1.2.ジャウメ2世:アラゴンへの反抗
ハイメ1世の死後、王位についたジャウメ2世は宗主国アラゴンの王である兄ペドロ3世と対立。マヨルカがアラゴンの属国であることを認めようとせず、貢物を送ることもなかった。しかし、満足に王国の体裁をなしておらず裁判所などの社会制度もないマヨルカは、結局アラゴンに屈せざるを得ず、1279年に結ばれたペルピニャン条約で正式にアラゴン王国の管轄下に置かれ、ジャウメ2世はペドロ3世の臣下となった。マヨルカ王国はアラゴン王が政治・経済的に管轄し、裁判権を持ち、王国の存続自体をアラゴンに左右される存在となった。

劣勢を跳ね返してペドロ3世に対抗すべく、ジャウメ2世はローマ教皇マルティヌス4世、フランス王フィリップ3世と連合した。マルティヌス4世はペドロ3世を破門してアラゴンをフィリップ3世に与えると宣言。アラゴン十字軍として連合軍がペドロ3世に挑むもFormigues島の戦いで敗れてしまう。ペドロ3世は反撃に転じ、バレアレス諸島を侵攻したが病を得て急逝した。さらに同年マルティヌス4世、フィリップ3世も相次いで亡くなる。

しかしペドロ3世の長男(すなわちジャウメ2世の甥)でアラゴン王位を継いだアルフォンソ3世は引き続きバレアレス諸島を攻め、1285年から1287年にかけて征服・併合に成功した。ここにおいてマヨルカ王国は基盤となる島嶼部領土を失ったのである。1295年、アラゴン十字軍およびシチリア王国の紛争を解決するために、教皇ボニファティウス8世、フランス王フィリップ4世、アラゴンおよびシチリア王ハイメ2世(アルフォンソ3世の弟)、ナポリカルロ2世らと結ばれたアナーニ条約によって、バレアレス諸島はマヨルカ王ジャウメ2世に返還されたが、以前の通り大陸領土を含むマヨルカ王国領はアラゴンの強い管轄下に置かれた。ハイメ2世は1298年以降アラゴンの宗主権を認め、内政に専念。都市を再建し、農業を奨励し、経済を発展させた。

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(1.1.ジャウメ1世:建国)
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(1.3.ジャウメ3世:王国の滅亡)
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出典:Wikipedia
2019/01/06 11:31
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