マーキュリー計画
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1958年10月1日、NASAが正式に発足し、キース・グレナン (T. Keith Glennan) が初代長官に、ヒュー・ドライデン (Hugh L. Dryden, 前NACA長官) が副長官に任命された[22]。グレナンから大統領への報告は、国立航空宇宙評議会 (National Aeronautics and Space Council) を通して行われることになっていた[24]。NASAの組織内においてマーキュリー計画に責任を持つのは「スペース・タスク・グループ (Space Task Group)」と呼ばれる集団で、その計画の目的は有人宇宙船を地球周回軌道に乗せ、宇宙空間での飛行士の能力や身体機能を観察し、搭乗員と宇宙船を安全に帰還させることであった[24]。既存の技術や使用可能な装置は何でも利用され、また機体の設計においては最もシンプルで信頼のおける方法が試みられ、革新的な実験計画とともに現存するミサイルが発射機として活用された[24]。宇宙船に要求される機能には、以下のようなものがあった。すなわち、1. 異常事態が発生したときに宇宙船と飛行士を発射用ロケットから分離させる緊急脱出用ロケット 2. 軌道上で宇宙船の姿勢をコントロールするための姿勢制御用ロケット 3. 宇宙船を軌道から離脱させるための逆噴射用ロケット 4. 大気圏再突入の際の空気力学的抵抗に耐えうる機体設計 5. 着水装置 である[24]。飛行中の宇宙船と交信するためには、広範な通信ネットワークシステムを作る必要があった[25]。当初アイゼンハワーはアメリカの宇宙計画に過度に軍事色を持たせることを望まなかったため、マーキュリー計画を国家の最優先事項に置くことをためらっていた。このためマ計画は「DXレーティング」という国防計画の優先事項の順位では軍事計画の後に置かれることになったが、この順位は1959年5月には逆転した[27]

マーキュリー宇宙船開発の入札には12社が参加した[27]。1959年1月、マクドネル・エアクラフト社が2,000万ドルで落札し、宇宙船設計の主契約企業に選ばれた[28]。この2週間前、ロサンゼルスに本拠を置くノースアメリカン社が、緊急脱出用ロケット開発に使用される小型ロケット「リトル・ジョー」の製作設計の契約を獲得していた[29][31]。飛行中の宇宙船と地上との交信に必要な世界的な通信網の開発には、ウェスタン・エレクトリック社 (Western Electric Company) が任命された[30]。弾道飛行に使用されるレッドストーンロケットの製作はアラバマ州ハンツビルクライスラー社が[31]、また軌道飛行に使用されるアトラスロケットの製作はカリフォルニア州サンディエゴコンベア社が担当した[34]。有人ロケット発射場には、フロリダ州ケープカナベラル空軍基地の中にある大西洋ミサイル基地が空軍によって準備された[33]。またここは総合司令センターでもあり、一方で通信連絡に関する管制センターはメリーランド州ゴダード宇宙飛行センターに配置された[36]。リトル・ジョーの発射実験はヴァージニア州ワロップス島で行われた[35]。宇宙飛行士の訓練はヴァージニア州のラングレー研究所オハイオ州クリーブランドグレン研究センターおよびウォーミンスター海軍航空軍事センターで実施された[38]。空力の研究にはラングレー研究所の風洞実験所[37]およびニューメキシコ州アラモゴードのホロマン空軍基地にあるロケットスレッド施設が使用された[40]。宇宙船の着水システムの開発には海軍と空軍両方の航空機が使用される[41]一方で、海上に帰還した宇宙船の回収には海軍の艦船と海軍及び海兵隊のヘリコプターが使用された[43]。またケープカナベラルの南にあるココアビーチという町が、にわかに注目をあびることになった[44]。1962年にこの町からアメリカ初の軌道周回飛行への発射を見守った人は、およそ7万5,000人であった[44]

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出典:Wikipedia
2019/05/29 10:30
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