ポケットモンスター
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2.ゲーム『ポケットモンスター』シリーズ
2.2.ゲーム開発の背景とヒットまでの経緯

ポケモン前史


収集、育成を楽しむ趣味・遊びは以前から存在した。1971年から1972年に「仮面ライダースナック」の仮面ライダーカードコレクションブームがある。

1988年から1993年にはロッテの『ビックリマンチョコ』が、第10代目の天使悪魔シリーズのシール集めで爆発的なブームとなった。小学館は自社の雑誌『月刊コロコロコミック』、『学年別学習雑誌』やアニメを含む、大規模なメディアミックス戦略でこのブームを後押ししていた。この路線で、作り込み・対戦型おもちゃミニ四駆や収集・対戦型おもちゃバーコードバトラー、さらにはポケモンブームを後押しすることになる。

1989年、ポケモンの生みの親である田尻智が「ゲームフリーク」を設立し、同社初のゲーム作品『クインティ』をナムコから発売。また同年、任天堂からゲームボーイ (GB) が発売。携帯機の特性上、ゲームボーイは当初パズルやアクションゲーム向けの機種と見られており、実際にそうしたゲームも多数発売されたが、田尻はスクウェアのRPG『魔界塔士Sa・Ga』の成功を見て、携帯機でもアクションでない分野を追求できると気づいた[12]

田尻はとりわけゲームボーイの通信機能に着目し、「交換する」という動詞をコンセプトにしたゲームの着想を得る。また田尻は『ウルトラセブン』のファンでもあり、同作のカプセル怪獣からも着想を得て、「カプセルモンスター」というRPGの企画書を書き上げた。

田尻の企画した「カプセルモンスター」はカプセルトイのようなケースに入ったモンスターが、通信ケーブルを行き来するというものであった。田尻はこの企画書を任天堂に持ち込み、それを受け任天堂は開発費の援助を決定した。後に「カプセルモンスター」の名称は、商標権の問題で商品名に使えないこと・略した時に「カプモン」となり語呂が悪いという理由などから、「ポケットモンスター(略して「ポケモン」)」に改められた。田尻はノスタルジーを感じさせるカプセルという単語を気に入っており、渋々断念している[13]

開発


ポケットモンスターは、製作陣のRPGの開発経験が不足していたことやゲームで最も重要な要素である「交換する」ということへの動機付けを見つけられず、開発には長い年月を要した。その間不足した資金を補うため他のゲームを開発するなどの理由で、ポケモンの開発はしばしば中断された。1995年頃までに、『MOTHER』および『MOTHER2 ギーグの逆襲』を制作した株式会社エイプから新会社クリーチャーズの社長に就任した石原恒和(のち株式会社ポケモン代表取締役社長)が全体をまとめて方向付けを行う役を担うようになった。『MOTHERシリーズ』は田尻がポケモンを製作する上で参考にしたRPGでもあり、そのためか共通点も多い(RPGでは当時珍しい現代の世界観であることや主人公の設定など)。また、ゲームフリークと開発委託契約を結び、石原自身がプロデューサーとして数々の企画を任天堂などへと提案していく火付け役ともなった。当初から開発を支援していた任天堂も製品の完成を粘り強く待ち続けた。

ゲームフリークの制作陣は、当時まだ着目されていなかった「収集、育成、対戦、交換」という要素を徹底的に遊ばせようという方針を定めていた、ゲームボーイの通信機能を活用して「別のソフトとの間で通信を行わないとポケモン図鑑が完成しない」、「(強制ではないが)自分が育てたポケモンで友達と対戦できる」という仕様はその方針を支えるためにある。

個々のプレイデータには個別のID(数字)と主人公の名前が与えられ、所有するポケモンに対して「親ID」として働き個々のポケモンをさらに個性化する、という仕様も持たせた。当初はプレイヤーIDによってソフト1本毎に登場するポケモンが異なるという仕様だったが、過剰に複雑化したため、2種類に分けて発売する手法が採られた。また、当時の主流に比べ大容量のバックアップメモリを搭載する仕様に切り替える事で、150種類全てのポケモンの保存が可能になった。この「ソフトを2種類にわける」、「大容量のカートリッジを採用する」という案は任天堂の宮本茂の案である[14]

当初は1995年秋から年末発売予定であったが[15]デバッグなどが遅れ1996年2月27日に繰り下げた後に[14][16]、開発開始から6年経って『ポケットモンスター 赤・緑』は発売を迎えた。カラーバリエーションは、マリオとルイージの服の色に因んでおり、後に発売される青は2人の「つなぎ」の色に由来する[17]

発売


1996年当時、ゲームボーイに限らず、携帯型ゲーム機市場は停滞していた。ゲームギアなどカラー表現が可能な後続機種もほぼ終息状態にあり、テレビゲームには「次世代機」と銘打ちPlayStationセガサターンが既に登場し、発売から丸7年が経過したゲームボーイは時代遅れと見られていた。事実『ポケットモンスター』発売直後の時点でゲームボーイにて発売が予定されていたゲームソフトはわずか3タイトルのみであった。

市場にはRPGだけでも既に多数のゲームが発売されており、さらに「過去の機種」であったゲームボーイでリリースされる『ポケットモンスター』はさほど大きな期待を持たれず、年末商戦も逃した[14]。しかし、「収集、育成、対戦、交換」というゲーム要素が徐々にユーザーの支持を獲得し、さらにユーザー間の口コミで爆発的ヒットへ繋がった。結果的にポケモンは制作側の期待や予測を越えた大ヒットを記録した。日本国内での販売本数はゲームボーイ向け『赤・緑・青』で最終的に1023万本である[18]

「ポケモン後」の市場の変化


『ポケットモンスター』発売以降ゲームボーイ市場、ひいてはコンシューマーゲーム市場自体が変化した。

他メーカーからの後続ゲームソフトも「収集、育成、対戦、交換」の要素を盛り込んだり、数バージョン同時リリースなど、ポケモンに倣った手法が定番化した。任天堂自身もそうしたゲームの開発に力を注いだ他、「ポケモン頼み」のラインナップに切り替えるなどの路線を歩んだ時期もあった。しかし、前者については、各社で販売本数に差が付き、結局はゲームソフトの商品力が販売力を決めることを再認識させた。

本作アニメ放映開始後には女子のファンを獲得し、それまで男子中心のゲームボーイユーザーに女子を呼び込んだ[19]。これ以降、任天堂の携帯ゲーム層に女性ユーザーが増加した。

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出典:Wikipedia
2019/11/30 10:32
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