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ポール・エリュアール
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4.シュルレアリスム
4.1.シュルレアリスム革命
翌22年にエルンスト(画)とエリュアール(詩)の共著『不死者の不幸』が刊行された(二人はこの後、1925年にもガラに捧げる『沈黙の欠如に』を発表。エルンストは匿名でガラの画を多数掲載している)。だが、このとき、エリュアールはガラとの関係において精神的な危機に陥り、1924年3月に失踪を遂げた。7か月かけてオセアニアを旅し、10月に帰国。ブルトンに捧げる詩集『死なずに死ぬこと』を発表した。1924年は、パリ7区のグルネル通りフランス語版にシュルレアリスム研究所が設立され、シュルレアリスム宣言が発表された年である。とりわけ、アナトール・フランスが死去したときに共同で執筆した小冊子『死骸』は、この権威的な存在を葬り去り、乗り越えようとする最初の象徴的な行為であり、一大スキャンダルを巻き起こした[19]。エリュアールはこの小冊子に「ありきたりの老人」と題する文章を掲載した。このほか、ブルトンの「埋葬拒否」、アラゴンの「すでに死者を殴り倒したか」、スーポーの「間違い」、(後に対独協力に転向することになる)ピエール・ドリュ・ラ・ロシェルの「われわれは騙されない」などが掲載された[20]

1924年12月1日に文芸誌『シュルレアリスム革命フランス語版』が創刊され、エリュアールはアラゴン、ペレ、デスノスらとともに「シュルレアリスム作品」として詩を掲載した。マン・レイの写真、デ・キリコ、エルンスト、ピカソ、アンドレ・マッソンらの画も多数掲載された。表紙には参加者全員の写真の下に「新人権宣言となるべきである」と書かれている[21]。出版社はガリマール図書(ガリマール出版社の前身)で、最初の4号はペレとピエール・ナヴィルフランス語版が編集、以後はアラゴンが中心となって1929年まで5年にわたって自動記述、睡眠実験、デペイズマンコラージュ、無意識、偶然不条理などシュルレアリスムの重要なテーマをすべて取り上げ、運動の最も重要な雑誌の一つとなった[22]

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(3.3.エルンストとの出会い)
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(4.2.共産主義への傾倒)
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出典:Wikipedia
2020/02/08 05:30
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