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ポール・エリュアール
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2.ガラとの出会い
エリュアールはコルベール高等小学校に入学したが、結核を患い、1912年7月に学業を断念してスイスで療養。喀血を起こしたために滞在を延長し、1914年2月までダヴォスのクラヴァデル療養所で過ごした。ここで後に結婚するロシア生まれのエレナ・イヴァノヴナ・ディアコノワに出会った。教養豊かで独立心が強く、奔放なエレナにエリュアールは惹かれ、彼女をガラガラ・エリュアール)と呼んだ[3]。療養中にネルヴァルボードレールヴェルレーヌランボーロートレアモンアポリネールホイットマンなどを読み、詩作を始め、自費出版した[4]

1914年8月、19歳のときに第一次世界大戦が勃発。12月に動員され、補助部隊に配属された。まもなく、第22衛生小隊、次いで1916年8月から北部ソンム県アルジクールフランス語版野戦病院に転属された。ここで負傷者の苦しみと戦争の恐ろしさを目の当たりにしたエリュアールは、厭戦感から平和主義・自由至上主義に傾倒し、ミゲル・アルメレイダフランス語版(夭折の映画監督ジャン・ヴィゴの父)が編集長を務める無政府主義風刺新聞『ボネ・ルージュフランス語版』や『カナール・アンシェネ』(1915年創刊、フランス最古の新聞)を読んだ。1916年12月に歩兵隊への転属を希望。第95歩兵部隊に配属されたが、病気のために入院を余儀なくされた。退院後、再び補助部隊に配属され、終戦を迎えた。この間、1916年9月にガラが渡仏し、1917年2月21日に正式に結婚、1918年5月10日に娘セシルが生まれた[5][6][7]

エリュアールはすでに『第一詩集』と(初めて「ポール・エリュアール」の筆名で[8])『義務』を自費出版していたが、1917年に友人のアリスティード=ジュール・ゴノンが経営する出版社からアンドレ・デリニエールフランス語版木版画入りの詩集『義務と不安』が刊行された[9]。翌18年には反戦詩の小冊子『平和のための詩編』を印刷して多数の作家に郵送した[4]

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(3.1.プロヴェルブ誌創刊)
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出典:Wikipedia
2020/02/08 05:30
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