ポール・マッカートニー
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3.経歴
3.5.1980年代
1980年は元ビートルズのメンバーにとっても、ファンにとっても最悪な年になった。1980年1月16日(水)に訪日したポールは成田空港の税関で大麻所持を摘発され、10日間ほど勾留された後に送還された[6]。1月のウイングス日本公演は全て中止となり、グループとしての活動が休止状態に陥ったウイングスは、翌1981年4月のデニー・レインの脱退により自然消滅。マッカートニーは、ソロ・アーティストとしての活動を9年ぶりに再開。10年ぶりとなるソロ名義のアルバム『マッカートニーII』と先行シングル「カミング・アップ」で成功を収めた。

米国東部時間・1980年12月8日(月)23時頃、レノンがニューヨークの自宅アパート、「ダコタ・ハウス」の前でマーク・チャップマンによって拳銃で射殺される衝撃的な事件が発生する。ビートルズの黄金時代を共に築いたパートナーであったレノンの死にマッカートニーは大きな衝撃を受け、数か月間自宅に引き篭もって過ごした。翌年、音楽活動を再開させたマッカートニーは、プロデューサーのジョージ・マーティンの進言で腕利きのスタジオ・ミュージシャンを起用し、カール・パーキンススティーヴィー・ワンダーなどとのデュエットも行った。82年には「エボニー・アンド・アイヴォリー」とアルバム『タッグ・オブ・ウォー』を発表。同年、マイケル・ジャクソンと『ガール・イズ・マイン』でデュエットした。マイケルとはポールのアルバム『パイプス・オブ・ピース』でも「セイ・セイ・セイ」でデュエットしている。この曲も全米、全英で1位を獲得した。ポールは70年から83年までに3回ほど音楽的スランプに陥っている。70~71年、76~77年、80~83年の時期である。これらはいずれも音楽的な不調であって、曲の方は逆に大ヒットしていた。1980年代にマッカートニーはマイケル・ジャクソンエリック・スチュワートエルヴィス・コステロなど、さまざまな有名ミュージシャンと共演している。

1984年には、久しぶりにポールらしさの出た佳曲「ノー・モア・ロンリー・ナイツ」を発表した。さらに自らが脚本・音楽を手がけ、主演した初の映画作品『ヤァ! ブロード・ストリート』を制作・公開し、ビートルズナンバーも収録されたサントラ盤が成功を収めた。だが、対照的に映画の内容に関しては酷評され、興行的にも失敗に終わっている。

1985年の映画『スパイ・ライク・アス』の主題歌『スパイズ・ライク・アス』は、全米トップ10ヒットであった。1985年7月13日にアフリカ難民救済を目的として行われた、20世紀最大のチャリティー・コンサート「ライヴエイド」(LIVE AID)では、イギリス・ステージのトリを飾った。

1980年代中盤にはヒュー・パジャムフィル・ラモーンなどの有名なプロデューサーを起用して音楽活動を行うが、1986年の『プレス・トゥ・プレイ』はチャート順位・売上共に不振に終わり、評論家からの評判も芳しくなかった。続いて発売される予定であったアルバム(通称「ザ・ロスト・ペパーランド・アルバム」)は完成を目前にして頓挫してしまう。この頃を境に以前のような大きなヒット曲には恵まれなくなる。1987年にはジョージ・ハリスンが久々にビルボード1位を獲得していた。音楽活動としては低迷していたマッカートニーだったが、1989年発表の『フラワーズ・イン・ザ・ダート』はエルビス・コステロとの共作の話題性も手伝って久々のヒットを記録した(全世界で250万枚以上の)セールス。一方で少年時代に慣れ親しんだロックンロールのスタンダード・ナンバーを歌った初のカヴァー集を制作し、1988年ソ連限定で発表した。マッカートニー夫妻は『フラワーズ・イン・ザ・ダート』の発売後、アルバムに参加したスタジオ・ミュージシャン4人とともに10年ぶりの本格的なコンサート活動を開始する。

1989年から翌年にかけてワールド・ツアーを行う。のちに『ゲット・バック・ツアー』と称されたこのワールド・ツアーでは、彼が長年演奏を躊躇していたビートルズ時代の作品がセットリストの約半分を占めた。

1990年3月に24年ぶりの日本公演が実現。ツアー終盤、1990年4月21日ブラジルリオデジャネイロマラカナン・スタジアム公演では18万人以上の観客を集め、有料コンサートの観客動員数の世界最高記録を更新した。このツアーでの演奏はライヴ盤『ポール・マッカートニー・ライブ!!』として発売され、映像は映画『ゲット・バック』として公開された。

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出典:Wikipedia
2020/01/25 04:00
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