ポーランド
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10.文化
10.3.音楽
ポーランド音楽の理論的発展の最も初期は13世紀ノートルダム楽派の影響を受け、この時代の楽譜がポーランド南部の街で発見される。宗教音楽は『ボグロジツァ(神の母)』の歌曲がこの時代に作られたものと推定されている。この曲はポーランド王国リトアニア大公国プロイセン連合と同盟してドイツ騎士団を討った1410年グルンヴァルトの戦いでも合戦の際に歌われたと伝えられる。『ブーク・シェン・ロージ(神が生まれる)』は歴代のポーランド王が戴冠する時に演奏されたポロネーズの曲で、後の1792年にはフランチシェク・カルピンスキによってポーランドのクリスマス・キャロルとしての歌詞が作られた。

16世紀になるとポーランド音楽は急速に発展した。クラクフ王宮であるヴァヴェル城の宮廷音楽たちが活躍した。5歳で家族とともにイタリアからポーランド王国に移住してポーランドに帰化したディオメデス・カトー、親戚を通してイタリアの最新の音楽情報を得、これをポーランド音楽に応用していった。王国の首都ワルシャワに移された16世紀の終わり頃より多数のイタリア人音楽家がポーランドにきて長期滞在する間社交の場に参加し、演奏会を催したり講義をした。ポーランドの音楽家たちはバロック音楽のスタイル、最新の楽器通奏低音といった技法などの情報に触れ大いに刺激された。17世紀初頭からはイタリアの影響を受けてオペラが盛んに製作されるようになり、ワルシャワは音楽文化や舞台文化の一大中心地として発展していった。しかしポーランド王国の国力が急速に衰退していった17世紀の終わり頃よりポーランド音楽の多くの部分が停滞した。

ポーランドの民俗音楽については19世紀より曲の収集と整理が行われた。オスカル・コルベルクはポーランド文化の復興を目指して熱心に各地を周って曲を収集、20世紀半ばポーランドが共産主義体制となると民俗音楽に関しても国営の音楽・舞踊団が数多く結成された。マゾフシェ音楽・舞踊団とシロンスク音楽・舞踊団は共産主義が過去のものとなった現在においても活動している。これらの団体は各地方の民俗音楽をまとめて扱うため、地方性が薄い側面があるといわれるが、外国人にとってはコンサートホールでポーランドの伝統音楽に触れる良い機会を提供している。現在のポーランド各地には各コミュニティーの自発的な音楽・舞踊団が存在しており、国営音楽・舞踊団ほど大規模な演奏ではないものの、地方色豊かな音楽文化を見せてくれる。ポーランド国内の各地で民俗音楽祭が頻繁に開催され、そのような場で彼ら小規模の音楽・舞踊団が活躍している。

フレデリック・ショパンは、マズルカポロネーズを在住国フランスで作曲した。3拍子のダンスは主に北東部で、2拍子のダンスは南部でよく見られる。ポロネーズは元々ポーランド貴族舞踏会での演奏されるもので、フランス語で「ポーランド風(のダンス音楽)」で、ポーランドでは「ホゾーニ (Chodzony)」と呼ばれるゆったりとしたリズムの絢爛なダンス音楽。ポーランド貴族たちの舞踏会や宴会で参加者が入場する際に演奏され、このリズムに乗って貴族たちがそれぞれ男女ペアとなり腕を組んで、控え室から会場へとゆったり踊りながら入場し着席するのである。その後ポロネーズはポーランドにおいても国に広まった。

ポーランド南部の街ザコパネを中心とする山岳地方の一帯は「ポトハレ地方」と呼ばれ、ここでは19世紀よりポーランドの芸術の中心地の一つとなった。民俗芸術だけでなく、現代音楽の作曲家のカロル・シマノフスキ。シマノフスキはこの地方の住民である「グラル人(「山の人」という意味)」の民俗音楽の収集や、それをモチーフとした作曲も行っている。彼らは弦楽器やバグパイプを用いて盛んに音楽を演奏する習慣があり、現代ではバイオリンチェロを多用する。また彼らはリディアンモードの音階を用い、歌うときにはこれに良く合う独特の歌唱法であるリディゾヴァニェを使う。ダンス音楽のクシェサニィ (krzesany) は早い動きを必要とするもので、また「山賊踊り」という意味のズブイニツキ (zb?jnicki) はこの地方独特のダンスである。

19世紀初頭になるとポーランドのクラシック音楽のスタイルが確立された。ユゼフ・エルスネルフレデリック・ショパンとイグナツィ・ドブジンスキを育てた。カロル・クルピンスキとスタニスワフ・モニューシュコはポーランドのオペラ音楽を発展させた。また、1833年2月には当時世界最大の音楽施設であるワルシャワ大劇場が完成し、こけら落としとしてジョアキーノ・ロッシーニのオペラ『セビリアの理髪師』が演じられた。ヘンリク・ヴィエニャフスキユリウシュ・ザレンプスキが主な作曲家に挙げられ、テクラ・バダジェフスカはアマチュアで17歳で『乙女の祈り』がフランスで知られたとされる。

19世紀末から20世紀初頭にはヴワディスワフ・ジェレンスキミェチスワフ・カルウォーヴィチカロル・シマノフスキ、伝説のピアニストイグナツィ・パデレフスキ第一次大戦後に独立を回復したポーランド共和国の首相となった。ユゼフ・コフラーは十二音技法を開拓した。

第一次大戦後の時代は若い音楽家たちが芸術運動を開始し、グラジナ・バツェヴィチ、ジグムント・ミチェルスキ、ミハウ・スピサック、タデウシュ・シェリゴフスキなどが活躍した。イグナツィ・パデレフスキは政治家としての活動に身を投じた。映画『戦場のピアニスト』の主人公として有名なヴワディスワフ・シュピルマン大衆音楽の作曲家、ジャズ調の歌謡曲『ワルシャワの赤いバス (Czerwony Autobus)』がある。

第二次大戦後の社会主義時代はタデウシュ・バイルトボグスワフ・シェッフェル、ヴウォジミェシュ・コトンスキ、ヴィトルト・シャロネック、クシシュトフ・ペンデレツキヴィトルト・ルトスワフスキヴォイチェフ・キラールカジミェシュ・セロツキヘンリク=ミコワイ・グレツキクシシュトフ・メイエルパヴェウ・シマンスキ、クシェシミール・デンプスキ、ハンナ・クルエンティ、エウゲニウシュ・クナピック、パヴェウ・ミキェティンなどが活躍した。
ジャズではクシシュトフ・コメダは同国出身のユダヤ系のロマン・ポランスキー監督の映画『ローズマリーの赤ちゃん』の映画音楽を担当した。

5年に一度開かれるワルシャワのショパンコンクール、ソポト国際音楽祭。

また、プシスタネック・ウッドストック(Przystanek Woodstock -「ウッドストック・バスストップ」の意)はヨーロッパの屋外音楽イベント。2010年8月1日にはポーランドを含むヨーロッパやアメリカなどから集まった615人のミュージシャンたちがリサイクル品で作った楽器で同時に演奏し、これが記録としてギネスブックに載ることになった[90][91]ヴロツワフのジミ・フェスティバル (Jimi Festival)[92]では毎年世界中から数千人のジミー・ヘンドリックスのファンが集まり、ヴロツワフの旧市街広場で「Hey Joe」を演奏する。2009年には6300人が参加し世界で最も多い人数によるギターの合奏としてギネスブックに登録されたジミ・フェスティバルが、その後も毎年この祭りはギネス記録を更新し続け、2014年5月の大会では7344人が「Hey Joe」を演奏して、自分たちが昨年打ち立てたギネス記録(7273人)を塗り替えている。オポーレ国民音楽祭は主にポーランド国内各地から数多くの民俗音楽団がオポーレに集まる、まだ共産主義であった1980年代のうちに既に民俗音楽部門のほかにロック部門とヒップホップ部門がある。

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出典:Wikipedia
2018/12/16 14:30
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