15世紀に入ると、カトリック司祭で年代記作者でもあるヤン・ドゥウゴシュの文筆活動がポーランドにおける文学の発展に大きく寄与した。1470年ごろにはポーランドでもっとも初期の複数の印刷工場が業務を始めている。これに続いてルネサンス時代がポーランドでも始まり、以後は書き言葉としてもポーランド語がポーランドにおける主流となった。この時代にポーランド語文学の発展にもっとも貢献したのは詩人のヤン・コハノフスキで、彼の作った多くの詩がポーランド語の標準的な語法と認識されるようになった。コハノフスキは19世紀以前のスラヴ人世界におけるもっとも偉大なる詩人であると評価されている[87]。
続くバロック時代や啓蒙時代を通じてポーランド語文学は発展したが、ポーランド分割によってポーランド=リトアニア共和国が消滅したあとは、他国支配に対するポーランド独立運動の意識と結びついて非常に独特なロマン派文学の発展を見ることになる。この「ポーランド・ロマン派」の代表とされるのがアダム・ミツキェヴィチである。ポーランドの国民的叙事詩『パン・タデウシュ』は近現代ポーランドの苦難の時代にも常に愛読され、1999年にアンジェイ・ワイダによって『パン・タデウシュ物語』(日本語題)として映画化された。またこの時代よりポーランド現代文学の特色であるノンフィクション文学が勃興した。その代表としては、日本でも『サッカー戦争』や『帝国』などの著作で知られ、世界中で「20世紀のもっとも偉大なジャーナリスト」(英ガーディアン紙)[88][89]、「世界でもっとも偉大な報道記者」(独シュピーゲル紙)、「現代のヘロドトス」(独フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙)[90]などと評価される、リシャルト・カプシチンスキがいる。