ポーランド
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4.国際関係
4.2.近現代史における日本との関係

日本学[編集]


1919年ワルシャワ大学に日本語講座が開かれた。以来、同大学東洋学部の「日本韓国学科」は、中国研究と中国語学科の一分野として、韓国語学科と共に学科は維持され、日本語が教えられている。2002年には、同学科は天皇皇后の行幸啓を受けたほか、2008年には日本テレビ放送網の「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」の「世界日本語学校の旅」でポズナン大学日本語学科とともに、日本語を学ぶ大学生たちが紹介された。
さらに、ポーランド人による浮世絵のコレクションは質と量ともに世界屈指のもので、クラコフ日本美術技術博物館“マンガ”館には浮世絵を含む日本の文化財のコレクションが広く公開されている。

また、ポーランド第二共和国初代国家元首ユゼフ・ピウツスキの兄ブロニスワフ・ピウスツキは、樺太流刑になったことを契機に、樺太から北海道へ渡り、多くの日本の文化人、政治家と交流しつつ、アイヌの研究に業績を残した。

日本による戦間期のポーランド人孤児救出[編集]


日本は戦間期、765人のポーランド人の孤児をシベリアから助けたことがある[44]。当時、多くのユダヤ系ポーランド人孤児らもシベリアに搬送されていた。

ポーランド人聖職者の訪日[編集]


また、カトリック教会聖職者のマキシミリアノ・コルベは、日本で布教活動を行い「けがれなき聖母の騎士会」を日本に導入した。同会の出版社「聖母の騎士社」や、コルベに続いて布教に訪日したポーランド人宣教師によって創設された仁川学院、聖母の騎士高等学校は21世紀を迎えた現在も存続している。

コルベと共に、布教のために訪日したゼノ・ゼブロフスキー修道士は、長崎で原爆に被爆したのちも日本に留まり、戦災孤児など貧民救済に尽力した。同じポーランド人の教皇ヨハネ・パウロ2世1981年に訪日した際、病床のゼノに面会し、功績を称賛した。初めて訪日したローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はポーランド人であり、東京では「世界最初の原子爆弾の傷跡がいまだにはっきり残るこの国で、『あなたがたに平和』と言うキリストの言葉は、特別に力強く響きます。この言葉に私たちは答えなければなりません」と日本語で挨拶し[45]広島市長崎市を訪問。広島においては「戦争は死です。生命の破壊です」と世界平和の構築を訴えた。

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出典:Wikipedia
2018/09/04 19:30
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