サービス終了のお知らせ
ボヘミア
▼人気記事ランキング
2.歴史
2.4.プシェミスル家
9世紀頃にプシェミスル家のもとで公国を形成した。10世紀以降はローマ帝国に属して政治的に現在のドイツと結びついた。1003-1004年にピャスト朝を挟む。

1198年にボヘミア公オタカル1世はローマ帝国領内では当時まだほとんど存在しなかった王号をもつボヘミア王となり(ボヘミア王国1198年 - 1918年)、高いステータスを獲得するが王権は弱く、実質上は歴代の王の後ろ盾となったローマ皇帝などのドイツ人勢力の傀儡として存在した。

チェコ及びボヘミアは、その地理的な重要性から中世から近世にかけては「ボヘミアを征する者は、ヨーロッパを征す」とも言われた。1241年モンゴル帝国ポーランドに侵攻した際には、ボヘミア軍を送り支援したが、東隣のモラヴィアオロモウツまでモンゴル軍に迫られた(オロモウツの戦い)。1245年にはガリツィア軍にポーランド王国ハンガリー王国が加わり、ヨーロッパ側の最前線であったハールィチ・ヴォルィーニ大公国(現在のウクライナ。当時、ルーシと呼ばれた地方)へ侵攻して属国化した(ヤロスラヴの戦い)[2]1246年 ライタ川の戦いハンガリー王国ベーラ4世とハールィチ・ヴォルィーニ大公国の連合軍が、オーストリア公フリードリヒ2世を敗死させる。1248年 バーベンベルク家の断絶につけこんだボヘミア王オタカル2世がオーストリアなどの支配権を獲得。1260年 クレッセンブルンの戦いでハンガリー王国のベーラ4世がオタカル2世に敗れる。1278年 マルヒフェルトの戦いで、ボヘミアのオタカル2世は、ローマ王ルドルフ1世ラースロー4世の連合軍に敗れ、ハプスブルク家が欧州の有力な勢力となる。

[4]前ページ
(2.3.チェコ人の形成)
[6]次ページ
(2.5.ルクセンブルク家)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2018/09/09 18:30
ソ人気記事ランキング
2020/02/29 更新
 1位日本
 2位羽生ありさ
 3位水野朝陽
 4位2月28日
 5位AV女優
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant