わろてんか
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3.登場人物
3.1.ヒロインと主要人物
藤岡 てん(ふじおか てん) → 北村 てん(きたむら てん)[19]
演 - 葵わかな(幼少期:新井美羽
本作のヒロイン。寄席興行会社「北村笑店」創業者夫妻の妻にして、のちの社長。
幼い頃より笑い上戸で行動的な性格。明治35年、旅芸人を名乗る藤吉と出会う。以後、彼から送られてくる手紙を読んで笑いながら憧れの気持ちを募らせ、やがて恋心に変わっていく。
明治43年の17歳時、兄の死により藤岡屋を継ぐ決意をするが、そのために持ちかけられる縁談に乗り気になれない日々を送るなか、藤吉と再会する。反対する父・儀兵衛の勘当を承知の上で、藤吉と駆け落ち同然で大阪へ旅立つ。
藤吉と北村家に住み始めて、啄子に嫁として迎えてもらえず女中として修行する。店の倒産により、北村屋の人々から実家に戻るよう促されるが藤吉と笑って生きる決意は揺るがず居残る。米問屋の廃業を機に藤吉に寄席経営を提案し、寄席小屋「風鳥亭」を開業後は、客の下足磨き、暑気払いに冷たい冷やし飴の販売、女性・子ども客に向けて昼からの開演、木戸銭を10から5銭に値下げするなど、独自のサービスを編み出して売り上げを伸ばしていく。開業から1年後、啄子に認められて藤吉と結婚。大正3年の時点で長男・隼也が誕生している。家庭と両立しつつ、縁の下の力持ちとして藤吉と会社を支えて北村笑店の事業拡大に貢献し、南地風鳥亭開業頃には取締役経理を担当、藤吉死後は社長に就任し風太や栞に支えられながら企業を存続していく。
昭和14年、慰問のための芸人派遣などの功績を讃えられ勲章を受章。同時期、伊能商会を追われた栞を採用して映画部を設立し、映画「お笑い忠臣蔵」を製作する。
昭和20年1月、大阪も空襲に見舞われるようになり疎開を決断、同時に北村笑店の解散を発表し芸人長屋を去る。
昭和20年8月15日、疎開先のラジオで終戦を知り迎えに来た風太と共に大阪へと帰るも、「風鳥亭」が空襲で焼け落ちてしまった事を知り、傷心。芸人達も戻らないまま、「風鳥亭」跡地ですいとんを売りながら生計を立てる。昭和21年、アメリカから帰国した栞と再会。その直後から、芸人達が次々と戻ってきた事で北村笑店復活を宣言。寄席再開第1弾として、「北村笑店物語」を上演する事を発表した。
舞台は成功に終わり、上演後。藤吉と語り合っていた。
吉本興業創業者の吉本せいがモデル。
北村 藤吉(きたむら とうきち)
演 - 松坂桃李 (幼少期[20]:大西啓翔)
明治45年より、てんの夫。大阪船場にある老舗の米問屋「北村屋」の長男。のちに寄席を運営する会社・北村笑店を夫婦で興し、やがて取締役社長兼総席主となる。本名は北村 藤吉郎(きたむら とうきちろう)。
幼少期に啄子に連れられて父を捜す途中で、寄席小屋に興味を持って中に入り落語を見たことをきっかけに、芸能の虜となった。笑いの無い家庭や家業を継ぐことに嫌気が差し、好きな道を志すために旅芸人一座「福楽座」にまぎれ込む。
明治35年の15歳時[21]、キースとともにぼったくり飲食店に騙され、苦肉の策で食い逃げするなか、同じく追っ手から風太と逃げていたてんと出会う。初舞台で出番を間違えて観客から罵声を浴び落ち込むが、てんから貰ったチョコレートと笑顔で励まされ、謝礼に白文鳥の人形が付いた鈴を贈る。その後の芸人生活も鳴かず飛ばずで一度は実家に帰るものの、自身にとって唯一の贔屓客であるてんを笑わせ大切にしたい思いから、嘘の旅芸人生活を綴った手紙を送り続ける。
明治43年、演芸の楽しさを忘れられず、リリコの誘いを受けて一座に戻った直後に、偶然てんと再会。紆余曲折を経て、てんを一生笑わせるために北村屋を継ぐ決意をし、彼女を連れて大阪の実家に帰る。帰郷後は米問屋の仕事に精を出すが、父が遺した多額の借金の返済と店の経営を立て直すために大儲けしようと、店舗と土地を抵当に電気式髪結い機(電髪)を購入するが、全て不良品で大損害を被る。北村屋廃業後は、てんの提案を受け、寄席経営と日本一の席主になることを目指す。風鳥亭が開業して1年後、会社「北村笑店」を創立する。
その後は、家庭との両立に悩みながらも仕事に奔走し、寄席小屋を増やしたり、芸人の獲得や発掘などをして会社を大きくしていく。北村笑店立ち上げから数年後、脳卒中を患い死去する。没後もてんの人生の節目や、悩み行き詰った時などに幽霊となって現れ、彼女に語りかけるようになる[22]
吉本せいの夫、吉本泰三がモデル[23]
武井 風太(たけい ふうた)
演 - 濱田岳(幼少期:鈴木福
てんの従兄。「藤岡屋」の丁稚として働き始め、明治43年の時点は手代。大正4年に藤岡屋を辞め寺ギンの元で働いたのち、「北村笑店」番頭、事業拡大後は北村の経営する寄席を束ねる総支配人、そして専務となる。
幼い頃からてんと一緒に育てられ、てんを妹のようにかわいがり、やがて片思いするようになる。強がりで、普段はてんの前で虚勢を張るが、てんを怒らせ距離を置かれた際には意気消沈し、てんから謝られると号泣して喜ぶなど、素直な一面もある。
てんに接触する藤吉を不快に思いつつ、儀兵衛に気付かれないよう配慮しながら、藤吉からの手紙をてんに渡し続ける。てんと藤吉が結ばれてからは、彼女を心配して折りを見ては北村家を訪れ、てんがぞんざいな扱いをされていると知ると、藤吉を殴ったり説教したりする。栞に対しては鼻につくと思いつつ、非の打ち所の無さから一目置き、彼の北村笑店役員就任後は対立ののちにてんを支える同志として固い絆を築く。
大正4年、しずから暖簾分けの打診を受けていたが、てんへの恋心から「てんを助けたい」と考え、寄席の勉強をするために、藤岡屋を辞め寺ギンの下で働く。その後、芸人たちの扱いを巡り寺ギンに反論した事から解雇となり、寺ギンの所属芸人らと共に「北村笑店」に移籍し、番頭として迎えられる。大正10年の時点では総支配人に昇進している。昭和9年には、それまで「万歳」と呼ばれていた演芸を「漫才」と名付ける。
藤岡屋からの同僚だったトキと結婚し、娘の飛鳥をもうける。
隼也が取引銀行頭取令嬢のつばきと恋に落ちた際には、会社とてんのためを思い、隼也を叱責し引き離そうとする。しかし隼也がつばきを選び駆け落ちした際には、つばきの父に謝罪と取引継続懇願の土下座をする。また、駆け落ち先から送られる隼也一家からの手紙を読み聞かせる形でてんに状況を伝えるなど、北村親子の間を取り持つ。
毎報新聞社からの依頼で慰問団「わろてんか隊」を結成し、団長として芸人らとともに戦地に赴く。帰国後「わろてんか隊」第2弾を派遣する事を決める。
昭和14年、通天閣が売りに出されている事を知り、北村笑店で購入する事を決断。
昭和19年、隼也に召集令状が交付され、てん親子の再会を膳立てする。昭和20年。大阪も空襲に見舞われるようになった事から、てんたちに疎開を勧める。1月に起きた大阪大空襲で行方不明になったと思われていたが、8月15日の終戦後、てんを迎えに疎開先へと現れた。
よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務取締役の竹中功は、吉本せいの実弟で吉本興業の社長を務めた林正之助がモデルと推測している[24]
伊能 栞(いのう しおり)
演 - 高橋一生
伊能家の次男。薬の貿易会社を任される帝国大学卒の青年実業家で、てんの縁談の相手。のちに活動写真製作会社・伊能活動写真社長となり同社を不動産百貨店事業なども手掛ける日本有数の企業・伊能商会へと成長させ、北村笑店の外部役員を兼任する。
登場時から一貫して洋装に身を包んでいる。見合い写真とプロフィールを知った藤岡家の女性たちには容姿、頭脳、家柄すべてにおいて高評価を得る。後述のとおり東京で生まれ育ったため、主要人物の中では近畿方言を使わず(当時の)標準語で話す。
実際の出自は、父・忠春が東京で愛人の芸者・志乃に産ませた庶子であり、病弱だった兄の代わりに会社を継がせられるよう、中学生のときに「保険」として伊能家に呼び寄せられたというものだった。実母の志乃が多額の手切れ金と引き換えに二度と会わない約束をし、拒絶されるという経験に深く傷ついていた。のちに大阪で記憶喪失の志乃と偶然再会し、母に対する複雑な心理から、援助の手を差しのべようとしながら息子と名乗ることは拒絶し対峙することを避けるという行動を経て、てんと藤吉やキースのとりなしで和解をする。名前の「」は「道標」という意味で、志乃が「人を導く道標になってほしい」という願いを込めたもの。また、志乃が好きだった活動写真によく連れて行ってもらったことがエンターテインメントに関心を持ち、活動写真会社を設立する原点となった。
藤岡屋の経営危機のためてんとの縁談は一旦破談となるが、てんが送った新一の遺した論文に関心を示し「藤岡屋」に投資する。その後、てん以上の魅力的な女性に出会えないという理由で独身を通すが、彼女と藤吉の絆をかけがえのないものと思い、二人を同志として見ていることを藤吉にだけ明かす。
藤吉に対しては、初対面時に酒を酌み交わし、経営者としての甘さを指摘したことで殴り合いの喧嘩となるが、すぐに和解し、知人である落語家の文鳥を紹介する。また、文鳥の高座が決まると新聞社に宣伝したり、藤吉と一緒にちんどん屋をするなど開業したばかりの風鳥亭の経営に積極的に協力する。数年後、藤吉が病に倒れた際に、北村笑店の未来を心配していた藤吉の提案で、自社と北村笑店との業務提携契約を交わし、藤吉の死後、北村笑店の外部役員に就任、てんを支えてゆくことを誓う。
実業家としてはロックフェラーに倣ってチャリティーに力を入れ、多数の寄付をしているが、関東大震災時にはそのことを「売名行為」とマスコミに叩かれるメディアスクラムに遭ったこともある。
昭和14年、製作した映画が内務省の検閲で上映中止に追い込まれるようになり、損失の責任として役員会議で社長退任を求められる。その後北村笑店に入社し、映画部を設立。映画「お笑い忠臣蔵」を企画し、検閲や映画法を潜り抜ける台本に仕上げるが「検閲保留」で恋愛を連想させる場面の削除等大幅な修正を求められる。やがて新日本キネマの工藤に忠告されて自身が軍部・特高に目を付けられていることを知り、退職を決意するも、てんと風太に引き止められて北村笑店に籍を残し最先端の映画を勉強するためにマーチン・ショウの伝手を頼り渡米する。太平洋戦争開戦後は、マーチン・ショウを通じて出来た仲間の手配により、出張という形で中立国に出国することで迫害を逃れる。
終戦後、日本に進出する企業の案内役の名目で帰国して昭和21年春にてんたちの元に戻るも、伊能商会のかつての部下たちの社長復任の懇願を受け入れる。そして部下たちを説得し、北村笑店の寄席小屋復活に協力する。
竹中功(前述)は、林弘高阪急東宝グループの創業者・小林一三を合わせた役所と推測している[24]
[4]前ページ
(2.4.女興行師編)
[6]次ページ
(3.2.主要人物の関係者)

19. 第9週より、役名クレジット変更。
20. てんの幼少期と時期が異なる。
21. 撮影好調写真集第5回
22. 隼也がつばきと駆け落ちした直後、仏壇の前に座り北村笑店の法被を握り締めて俯くてんに語りかける場面。
23. “『わろてんか』のモデルたち、実際にあったホンマにおもろい話”. 週刊現代. 講談社 (2017年10月28日). 2017年12月1日閲覧。
24. “『わろてんか』のモデルたち、実際にあったホンマにおもろい話”. 週刊現代. 講談社 (2017年10月28日). 2017年12月1日閲覧。

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出典:Wikipedia
2018/07/05 12:02
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