みんなの党
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4.組織
4.9.地方組織の形成
2009年さいたま市長選挙で国民運動体 日本の夜明け(後のみんなの党)推薦、民主党埼玉県連の支持を受けた清水勇人(後の埼玉改援隊代表)が当選した。2009年11月8日葛飾区議会議員選挙で1議席を獲得し、2010年2月の町田市議会議員選挙でも推薦1名を含む2議席を獲得し6月には民主党からの離党を表明していた神奈川県議3名(民主党神奈川県議団元団長の田中肇と岩本一夫,塩坂源一郎)が入党した。また、同年5月30日投票の愛知県大治町長選で、単独推薦した元プロ野球選手岩本好広が、現職と新人に勝利し初当選。単独の推薦候補が市町村長選で当選したのは初めてだった。同年9月7日、無所属だった枚方市議3名が入党し、西日本の地方議会で初めての単独交渉会派を結成。2010年12月の茨城県議会議員選挙では、みんなの党は2人が全国初の県議当選を果たした。2012年栃木県那須塩原市長選挙では阿久津憲二がみんなの党系市長として県内で初めて当選した。その後も、奈良県香芝市長選挙にみんなの党推薦候補が当選するなど積極的に擁立している。

2011年の統一地方選挙では、都道府県議会議員は41人、政令指定都市議会議員は40人が当選し、栃木県議会では第2会派、神奈川県議会では第3会派、横浜市会では第4会派になった。その後も、福島県議会議員選挙では公認1人、推薦1人が、宮城県議会議員選挙では公認2人が当選し、仙台市議会議員選挙では公認4人が当選している。

また地方議会で会派を組む際、会派名に「みんなの党」または「みんな」の文言を入れる規定があった。

解党後の地方組織[編集]


みんなの党はかねてから各地の地方議会で、公認した候補者が当選後や会期中に会派を離脱したり分裂する例が相次いでいたほか、結いの党結党に際しては多数の地方議会議員がこれに応じて参加した(#党運営・野党再編を巡る党内対立の激化も参照)。解党に際して、地方組織に関する事項は党本部から全く何も通達や指示がなかったとされる。党解散時点で残存していた各地のみんなの党会派や地方組織はそれぞれ解消・あるいは会派名称を変更して活動していた。とくに渡辺喜美前代表に近い地方議員らは会派名に「闘う改革の会」を入れて活動[74]、解党時の代表だった浅尾慶一郎に近い議員は「みんなの改革」(後述)に参加したが、第18回統一地方選挙以降はその多くが姿を消した。また、無所属となっても会派名にみんなの党を残したまま活動している例もあった。以下に数例を挙げる。

東京都議会会派「みんなの党Tokyo」は、「かがやけTokyo」(4名)に名称変更した[75]。このうち上田令子都議は会派での活動と並行してローカルパーティー「自由を守る会」を設立した[76]。また、音喜多駿都議は会派での活動と並行して日本を元気にする会の設立に参加した。2017年1月に会派名を「都民ファーストの会 東京都議団」に改めるが上田・音喜多両都議はその9か月後に同会を離党し再び会派「かがやけTokyo」を立ち上げている[77]。2019年7月の参院選で、同会派所属だった塩村文夏立憲民主党)と音喜多駿(日本維新の会公認、あたらしい党代表)が、いずれも東京都選挙区で初当選した[78]
神奈川県議会会派「みんなの党神奈川県議会議員団」(10名)は、「県友会」に会派名称を変更した[79]
横浜市会会派「みんなの党横浜市議団」(4名)は、会派名を「みんなの横浜」として活動していた。
江戸川区議会で民主党・旧日本維新の会と組んでいた統一会派「民主・みんな・維新」(うちみんなの党公認当選者2名)は、維新分党による中津川将照の次世代の党入り、維新の党籍の田中けんの会派離脱と重なって「民主党・改革クラブ」に会派名称を変更した[80][81]
大阪府議会大阪維新の会と組んでいた統一会派(うちみんなの党籍1名)「大阪維新の会・みんなの党 都構想推進大阪府議会議員団」は、旧みんな所属府議が無党籍になり、「大阪維新の会都構想推進大阪府議会議員団」に会派名称が変更された[82]
参議院会派「日本を元気にする会・無所属会」に参加する行田邦子参議院議員は埼玉県内の旧みんなの党所属地方議会議員や予定候補者らとともに政治団体「未来の埼玉を創る会」を設立した[83]。あくまでみんなの党OB有志による勉強会、選挙における相互支援の会という位置づけ。
闘う改革の会[編集]
2014年12月1日、 市川市議会議員の石崎英幸を中心とした千葉県内の旧みんなの党所属一部地方議員らは、渡辺喜美を顧問に地域政党「闘う改革の会 千葉」を結成した[84][85]。第18回統一地方選挙では千葉県内で5人の候補者を擁立した[86]が、全員が落選した。
東京都では溝口晃一(大田区議会議員候補、落選)を代表として政治団体「闘う改革の会東京」が設立されている[87]。また、大田区議会では湯本良太郎区議が闘う改革の会の名称を使用していたが、2018年11月12日に自民党会派に合流し、会派を解散した[88]
杉並区議会会派「みんなの党」(1名)は、「闘う改革の会」に名称変更した[89]
調布市議会会派「みんなの党」(1名)は、「闘う改革の会」に名称変更した[90]
大阪府では2013年の参院選に出馬していた安座間肇が「闘う改革の会大阪」を設立し、大阪府議選(池田選挙区)に候補者を擁立、自身も池田市議選に出馬したがいずれも最下位で惨敗し[91]、2015年4月30日に解散した[92]
広島県廿日市市議会議員の山本一臣が広島県内の支援者らを集め、地域政党「闘う改革の会 広島」を設立した[93]。2017年12月31日に解散[94]
みんなの改革[編集]
元代表の浅尾慶一郎は2015年1月に「神奈川みんなの改革」を設立、浅尾が代表に、みんなの党で政調会長を務めた中西健治参議院議員が代表代行に就任した。浅尾は「宮城、埼玉、東京、千葉の(旧みんなの)地方議員からも受け皿をつくってほしいとの声が寄せられている。神奈川が先行モデルをつくり、それを横に展開したい」と表明[95]。これに呼応する形で翌月には元みんなの党選対委員長の佐藤正夫元衆議院議員が「みんなの改革福岡」を[96]塩村文夏東京都議が「東京みんなの改革」を[97]、千葉県習志野市議2名が「習志野みんなの改革」を設立した[98]。しかし、第18回統一地方選挙では地盤である神奈川でも県議5人、横浜市議3人の立候補者に対し、当選者は各1名ずつに留まり[99]、福岡、習志野では全員が落選[100][101]する惨敗となった。以後、神奈川みんなの改革(後に「みんなの改革」に改称)は活動の実態が事実上無くなり[102][103]、程なくホームページも閉鎖された。

その後2015年12月4日にみんなの改革福岡が、同15日に習志野みんなの改革が解散[104][105]。塩村はその後も都議会の一人会派として「東京みんなの改革」の名称を使用していたが、任期満了前の2017年7月20日に東京みんなの改革を解散[106]させ、民進党に移籍。浅尾は自民党に入党する意向を示し、浅尾の入党が了承される直前の2017年9月20日に正式に(神奈川)みんなの改革を解散した[107]

みんなの党(政治団体)[編集]
みんなの党解党後、渡辺喜美は自身が代表を務める政治団体「みんなの党」の設立を東京都選挙管理委員会に届け出たが、休眠状態が続いた[108]2018年末に事務所所在地を栃木県那須塩原市に移し[109]2019年1月、渡辺は「統一地方選挙に出る候補を応援する形で、みんなの党を復興していきたい」との意向を表明し[110]、同年の第19回統一地方選挙に同政治団体から候補者を擁立する考えを示した[111]。統一地方選の結果を見て、参院選での候補者擁立も検討し、将来は国政で復活を目指すとし、公式ウェブサイトで候補者公募も行った[112]

2019年1月27日には、愛知県田原市議会議員選挙(定数18)に政治団体みんなの党から立候補していた農場経営者の岡本重明が21人中16位で当選(1302票)した[113]。岡本は翌月、任期開始に際し「みんなの党田原市議団」(一人会派)の結成を届け出た[114]。同年4月第19回統一地方選挙では関東地方や愛知県の市区議会議員選挙に計7名の公認候補を擁立した[115]が、当選したのは現職の今井勝巳矢板市議のみであった。同年7月の参院選には候補者を擁立しなかった。

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出典:Wikipedia
2019/08/14 22:02
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