まんぷく
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3.あらすじ
3.4.カップ麺開発編(昭和45年5月‐)
まんぷくラーメンが発売されて11年が経った。昭和45年(1970年)、大阪では万博が開催され、一家は元いた家で暮らしていた。源は23歳になりまんぷく食品に入社し、幸は21歳になり大学に通っていた。即席ラーメンは飽和状態で倒産する企業もあり、まんぷく食品は焦りを感じていた。新しい商品を開発してはいたものの、まんぷくラーメンの売り上げを超えるものはできていなかったのだ。世良にも画期的な商品を開発するよう言われ、萬平は画期的な商品を考え始める。しかし、即席ラーメンの国内販売はもう頭打ちで、輸出も伸び悩んでいた。その事を萬平が福子に言うと、福子はかつてまんぷくラーメンをアメリカへ営業に行った時の事を思い出す。アメリカにはどんぶりも箸も無かったため、アメリカの担当者が紙コップに麺を割り入れ湯を注ぎ、それをフォークで食べたのだ。その話から萬平は「容器に入ったラーメン」を開発することに決め、まんぷくラーメンとは麺も味も変える事を決意。家でスープを開発した。開発チームには若手を採用した。新商品の名前は、世界市場を視野に入れている事やこれまでの概念を覆すという意味で「まんぷくヌードル」とした。

その日の夜、立花家には幸が万博で知り合った外国人のレオナルド、ビリー、トムが来ていた。萬平は麺はそのままであるが、新しく開発したスープのラーメンを試食させる。しかし、麺がうまく巻けない、欧米人には麺をすする文化がないため食べにくいなど問題が多く発生。萬平は麺をまんぷくラーメンの長さの半分にする事を決めた。

会社では、開発が難航していた。萬平は家で麺の揚げ方を研究する。福子が「天ぷらは油の中から浮かび上がった頃が食べ頃」と呟いたことをヒントに、型と麺に上部にすき間ができた状態で揚げたところ、成功。同時に麺の上下の密度が変わり、麺が戻りやすくなるという利点も発生。しかし、会社では開発が進んでいなかったため、萬平は激怒。開発チームの面々は不平を言い始める。それを見た真一は福子に萬平を諭すように頼み、福子は「あなたが足を止めてあげるべきだ」と諭す。その言葉を聞いた萬平は、開発チームに「一緒にまんぷくヌードルを作ろう」と言う。

同じ頃、幸はレオナルドと良く会うようになるが、鈴は彼女が立花家の玄関前でレオナルドと抱き合うのを目撃。福子に相談するなどしてやきもきしていたが、福子は見守る事にした。ある日、世良が『白薔薇』でマスター夫妻にレオナルドが別の女性と肩を組んで歩くところを見たと話した。その数日後、源はヌードルの具に入れる食材の製造方法を探していたところ、フリーズドライという製法を発見。開発チームには後日、フリーズドライ食品を製造する機械が導入された。その直後、幸の様子がおかしい事から福子が彼女の部屋に行き、事情を聞くと「レオナルドがアメリカに帰国する」事と、「彼には本国に婚約者がいる」事を福子に打ち明けた。幸の初恋は、終わった。翌日、吹っ切れた様子で朝食を取る幸の姿に一安心する福子だった。

福子は萬平と共にヌードルに入れる具材の一つ・肉の製造・加工を自宅で行うように。一方源たち開発チームは神部が大急ホテルで食べたシュリンプカクテルの中に、フリーズドライしても崩れないプーバランというエビを発見。その他、スクランブルエッグなどを入れてようやく商品の形が出来た。ところが、製造ラインからある問題を明かされた。「麺を容器に入れる工程で、麺が中で崩れる」というのだった。自宅で麺をカップに入れる作業を繰り返す萬平。同時期、突然鈴が病に倒れた。医師の診察によると「腸に異常がある」との事。見舞いに来ても仕事の話ばかりする萬平に対し、鈴は不満顔。その後、腸が破裂した事で鈴の容態が急変し緊急手術をする事になり、萬平に連絡する福子。手術は成功したが、手術の結果から鈴は大腸憩室症という重病だった事が判明する。ヌードルをどうやって容器に入れるか試行錯誤を繰り返す日々の中、萬平は不思議な夢を見た。突如、部屋の中がひっくり返り逆回転する夢だった。目覚めた萬平は容器を入れる方法を思いつき、台所へ降りて実践、成功した。パッケージのデザインは、忠彦の弟子・名木純也が手がける事になるが、気が弱い性格である彼は、プレッシャーに悩みデザインが思い浮かばず苦悩していたが、『白薔薇』のママから励まされデザインが完成。萬平からも合格点をもらい感激していた。ついに『まんぷくヌードル』は完成。発売の日を迎えたのだった。

しかし、発売したはいいものの、当初の予想の3分の1ほどと売り上げが伸びず社員たちは困惑する。小売店からは「100円は高すぎる」との声も来ており、やはり問題は値段であることが分かる。他の社員は値下げを提案するが、萬平は100円にこだわる。しかし、小売店は値引きして売っていることが分かる。それを知った萬平は、小売店では売らず他の販売ルートを考えることを宣言。夜中に働く人のいるタクシー会社やホテルに営業をし、売り込むことを決定する。まんぷくヌードルは在庫が相当たまっており、製造をストップするまでになっていた。

営業の結果、タクシー会社が買うなど好評を博すまんぷくヌードル。夜中に働く人に好評なら、夜中に帰る店があればいいと福子が考え付くが、現実的には不可能であった。萬平はそこから着想し、お湯まで注がれその場で食べられるような装置を付けた自動販売機での発売を決定する。また、まんぷくヌードルの他の利点を聞いて回っていた福子は、「古い世代にはまんぷくヌードルの良さが伝わりにくい」ということを牧から聞く。

皆がまんぷくヌードルの売り方に悪戦苦闘する中、鈴は咲と夢で話す。「最後にみんなに『ありがとう』と言えたため悔いはない」という咲の言葉を聞き、鈴は生前葬をあげたいと言い出す。福子と萬平は例の少ない生前葬に難色を示すが、幸や源が賛成したこともあり鈴の生前葬は無事とり行われる。

鈴の生前葬が終わりひと段落したところで、福子は今までのことを思い出し、「まんぷくヌードルの良さが分かるのは、頭の柔らかい人たちだ!」と気づく。そこで若者に狙って売り出すことにする。同じころ、歩行者天国が大阪でも11月29日に行われることが明らかになった[28]。新聞で知った萬平は歩行者天国に出店することを決意。歩きながらでも食べられるまんぷくヌードルを、歩きながら食べてもらうことにした。また、萬平は福子に、「歩行者天国がきっかけでまんぷくヌードルが成功したら、次の商品を考えるために、一、二月仕事を休んで、二人で世界の麺料理を食べる旅行に行こう」と提案し、福子は快諾する。

歩行者天国でのまんぷくヌードル販売は大成功。萬平は福子に改めて感謝の気持ちを伝える。二人は無事旅立つ。

季節は変わり、春。福子と萬平は「今はクアラルンプールにいて、次はタイに向かう」ことを鈴への手紙で明かす。二人は屋台で麺を食べながら、おいしさと楽しさをかみしめるのであった。

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(3.3.池田信用組合理事長就任から即席ラーメン開発編(昭和32年 - 昭和33年夏))
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(4.1.主人公)
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出典:Wikipedia
2019/06/18 00:04
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