まんぷく
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3.あらすじ
昭和13年(1938年)春の大阪、高等女学校を卒業したばかりの今井福子は、地元の大手ホテル「大阪東洋ホテル」への就職、数ヶ月後に控えた長姉・の結婚に胸をふくらませていた。しかし、電話交換室に配属され仕事に慣れるため懸命な日々を送るなか、母・が突然腹痛を起こし、咲の結婚式の延期を懇願する。鈴は咲が家を出た後の福子との2人暮らしに心許なさを感じ仮病を使っていたと判明し複雑な思いの福子だったが、折しも職場でフロント係に昇格する。そして福子から、英語教育を続けてくれたおかげで昇進出来たと感謝され、恩返ししたいと聞いた鈴は、咲の結婚を容認。結婚式は予定通り行われ、感動に包まれた宴となる。

昭和16年(1941年)、福子は咲の結婚式で幻灯機を貸してくれた業者・立花萬平と偶然再会する。後日、萬平からの申し出を受け交際を始めた福子だったが、鈴の猛反対、咲の結核による入院と死去、萬平が冤罪で憲兵隊に逮捕されるといった障害が次々と立ちはだかる。しかし、福子の同僚・友人らの応援、咲の夫・小野塚真一の後押し、萬平の友人・世良勝夫の協力で乗り越えて行く。彼らの説得や二人の揺るがぬ決意に鈴は折れ、昭和17年(1942年)萬平と福子は結婚する。

昭和19年(1944年)春、逮捕時の拷問の後遺症が元で徴兵を免れた萬平と暮らす福子は、戦火が大阪に近づいていることを察し、夫婦で鈴を連れて萬平のはとこが住む兵庫県の黒竹村に疎開する。穏やかな疎開生活を過ごすなか、萬平に赤紙が届くが、腹膜炎を発症し、回復後に徴兵されるも即日帰郷させられる。福子と鈴は安堵するが、萬平は周囲が国の為に献身するなかで何も出来ないと自責する。昭和20年(1945年)8月に終戦を迎え、同年秋に帰阪した三人であったが、自宅は空襲で焼失したため、近くに住む次姉・香田克子の家に身を寄せる。物々交換や闇市へ私財を売るなどして喰いつなぐなかで世良と再会し触発された萬平は、戦争で身分を証明する物も失い困っている人が多いと聞き、印鑑の製造販売を始める。商売が軌道に乗り始めたある日、復員兵の神部茂が香田宅に空き巣に入る。萬平と福子に親切にされ親しみを持った神部は、克子の子どもたちの家庭教師として香田家に居候する。やがて克子の夫の忠彦が復員し帰宅、印鑑業も同業者の発生で下火となり、萬平と福子は世良が紹介する泉大津の倉庫で商売を始めるため転居を決意。話を聞いた鈴と神部も立花夫婦に同行することを決める。

昭和21年(1946年)5月、4人は泉大津の海岸にある旧陸軍が使っていた倉庫兼住宅に入居。萬平は、倉庫の中に残された多くの鉄板を利用しての商売を考えるなか、近所のラーメン屋「清香軒」が、市場で食塩が高騰し入手出来ず悩んでいると知り、製塩業を始めることを決意、赤穂に神部と赴いて製法を学ぶ。その結果、多くの人手が必要と判明し、神部は大阪難波の闇市で従業員集めに奔走。福子も、萬平を支えるべく協力する。従業員は15人集まり、賄いをする福子と鈴の手伝いに、週末のみ克子の長女・タカが加わる。準備に1週間かかり、ようやく塩が出来上がったものの、労力の割に合わず生産量は少量との現実に、当初従業員らは言葉を失う。しかし、出来上がった塩を貰い「本来の味を作れる」と歓喜する「清香軒」の店主夫妻から感謝された従業員らは、労働への意欲を掻き立てられる。こうして起業した「たちばな塩業」の塩が世良により初出荷されるが、錆の混入を理由に当初見積もりから半額の収益となる。萬平は世良から闇市への出荷を勧められるも断り、従業員らと精進し、純度の高い塩が出荷できる様になり収益も安定する。しかし世良が萬平らに内緒で一部の塩を闇市に横流しして私腹にしていると知った福子は、大阪経済界の実力者・三田村亮蔵に萬平の正規の方法に拘った商売や心意気を訴える。結果、三田村から投資を受けられることとなり、三田村に便乗する形で世良からも投資を受け、横流しの件は水に流す。同時期に福子の妊娠が判明。萬平の態度や従業員らの本音を知った鈴が臍を曲げて家出する騒動を経て、1947年、長男・が誕生する。一方、三田村から受けた投資で新たな事業を始めたいと考えていた萬平は、栄養失調で苦しむ人々を目の当たりにした経験から、栄養食品の開発に乗り出す。

不平等な労働から生じた従業員同士の軋轢、家庭を顧みない萬平と福子の不和、それらの和解を経て栄養食品「ダネイホン」が完成し、大阪の病院での売れ行きが好調となる。そして経理・営業担当として真一を採用した矢先、従業員らが倉庫で見つけた手榴弾で密かに行っていたダイナマイト漁がクーデター疑惑をかけられ、萬平と従業員、更には倉庫を紹介した世良が進駐軍に逮捕される。福子や萬平を支援する人々の訴えや、萬平の信念が憲兵の心を動かし、最終的には現場検証で無罪が認められて釈放されるが、逮捕の事実が信頼を失い塩の専売局から取引停止を言い渡され、萬平と福子は製塩業を廃業し「ダネイホン」の専業に舵を取ることを決める。社名を「たちばな栄養食品有限会社」と改名し、商品改良により大阪市場での売れ行きも伸びて行き、やがて世良の協力を得て東京へ営業販売を始める。そして大々的な広告戦略もあって「ダネイホン」は有名になりヒット商品となるが、従業員を夜学に通わせるための奨学金が進駐軍から脱税行為と見なされて、萬平は逮捕され軍事裁判で懲役4年 罰金7万円の有罪判決を受ける。萬平を支持する弁護士・東太一の指導で、「ダネイホン」の販売権を「豊村商会」へ売却し7万円の罰金の支払いは解決したものの、国税局に追徴課税10万円を課される。東は不当な課税と見解するも国や進駐軍に太刀打ちできないと判断し「たちばな栄養食品有限会社」売却して企業を解散させ、売却金で新たな事業を始めることを萬平に提案。萬平は断腸の思いで受け入れる。東と三田村の協力で企業売却と従業員らの受け入れ先を手配し、泉大津を離れた福子は、再び香田家に移り、長女・を出産。その直後、国税局が福子の私物を家宅捜査し、売却金が入金された通帳と印鑑を没収する。東は国を訴える準備を進め、奨学金は非課税であり冤罪である事を新聞社の伝手で広め、世論を味方につけて行く。そして国税局から萬平の釈放を交換条件に告訴取り下げを打診される。正義感から告訴取り下げを認めなかった萬平だが、福子に諭され発明家として人々を喜ばせるため出所する事を優先し取り下げを承諾する。釈放され、妻子とともに香田家に身を寄せた萬平は、織物業「大鳥屋」の店主・大鳥勘一から、新たに設立される池田信用組合の理事長就任を懇願される。福子からは本職との違いを理由に反対され悩む萬平であったが、真一の助言を受け、理事長に就任する決意をする。

萬平が理事長に就任してから8年、一家は池田市内の一軒家で安定した生活を送っていた。そして子供が学齢期になり暇をもて余す様になった福子は近所のパーラーパートタイマーとして働き始めていた。ある日、女学校時代からの親友・桑原敏子から、知り合いの町工場「織田島製作所」への融資を萬平に頼むよう依頼される。織田島製作所が「万能調理器」を開発中であることを知った萬平は、100万円の融資を即決しただけでなく、毎日定時で退社しては織田島製作所に通い、開発協力に没頭する。しかし池田信用組合の親銀行である梅田銀行から神武景気の終了を受け、全ての融資案件を停止するよう通告される。萬平は織田島製作所へ融資継続させたいため、自宅の土地建物を担保に入れることを鈴と福子に提案。鈴は猛反対するが、福子は萬平の本来やりたいことをさせたい願いから、承諾する。そんな萬平の熱意や銀行の担当者に織田島製作所の開発を見せたことで、一時は融資の存続が決まったものの、梅田銀行の人事異動により一転。融資金の回収を命じられ、立花家の資産も差し押さえられ、信用組合の窓口では取り付け騒ぎが起きる。最終的に信用組合と池田の産業を守るため、萬平は梅田銀行の人間に理事長職を託し、辞任する。

こうして昭和32年(1957年)暮れ、一家は家賃2000円の借家に転居、鈴は香田家に身を寄せる。年が明けて発明家に戻った萬平は、主婦の仕事の軽減に着目した結果、簡単且つ短時間で出来るラーメンの開発に乗り出し、裏庭に「即席ラーメン研究所」を設け没頭する。そんな萬平の様子を没落と判断する人々からは陰口を叩かれ、子供たちはいじめに遭うが、萬平の成功を信じて家族一丸で彼を支えて行く。

試行錯誤の末、萬平はラーメンスープを完成させ、次は麺作りに取り掛かるが様々な方法を取り入れてもうまくいかない。そんなある日。福子が敏子からのおすそ分けでもらった、エビの天ぷらを揚げているのを見て、萬平は麺のヒントを思いついた。そこで萬平はかつて、ダネイホン作りで世話になった、神部の知人・近江谷を呼び「即席ラーメン研究所」で揚げた麺の成分を調べてもらう。すると、高野豆腐のようにスポンジ状になった麺の断面が顕微鏡で見て明らかに。ついにラーメンを完成し、香田家・パーラー『白薔薇』で試食会を行なう。お湯を注ぎ、3分待ち出来あがったラーメン。各所での試食会は、大成功に終わった。夜になり、真一が訪ねてきてラーメンを試食した。ラーメンを食べた真一は「革命的な発明だ」と絶賛。彼は池田信金を退職して萬平のラーメン作りに携わりたいと言い出した。さらに、世良も訪れ世良商事で売り出させて欲しいと切り出した。本格的な量産体制が始まり、源と幸も学校から帰ってきてからラーメンの包装を手伝うように。発売日目前、福子が過労で倒れてしまい事態を重く見た鈴が再び立花家で同居する事に。彼女も、ラーメン作りを手伝うように。鈴が同居するようになって、福子の負担は半減された。

昭和33年(1958年)夏。ついに世界初の即席ラーメン・『まんぷくラーメン』が発売されたのであった。

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出典:Wikipedia
2019/02/20 09:01
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