はやぶさ (探査機)
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3.ミッション背景
3.1.計画承認までの経緯
後に「はやぶさ」に至る小惑星サンプルリターン計画の検討は、日本で初めて惑星間空間に到達することになった「さきがけ」の打ち上げが成功裏に行われ、「すいせい」の打ち上げを控えた1985年6月、ISAS教授(当時)鶴田浩一郎が主催する「小惑星サンプルリターン小研究会」として始まった[20]。その成果として翌1986年には1990年代を想定し、化学推進を用いてアモール群に分類される小惑星である「アンテロス」を対象とするサンプルリターン構想が纏まる[21]。しかし、要求を満たす能力を持つロケットが存在しないなど、時期尚早であるとしてプロジェクトの提案はなされなかった[22]
M-Vロケット開発を受けて検討は再開され、1989年秋から1990年春にかけて行われた宇宙理学委員会において、M-V 2号機のプロジェクトとして提案された。だが、LUNAR-A計画に敗れ採用されなかった[17]。その後はランデブーとホバリングによる超接近観測を目的とした工学衛星計画に方向性を改めて再検討が進められることになった。1991年1月時点において、MUSES-C計画は光学観測による自律航行、三軸姿勢制御、ターゲットマーカーを用いた自律運用、X線分析装置と質量分析器の搭載などが検討されており、1997年5月に二段式キックモーターを装備したM-Vで打ち上げられ、1998年6月にアンテロスに到達するという計画であった[24]。その後も検討は進められ、1995年に小惑星サンプルリターン技術実験探査機として宇宙工学委員会で選定、1995年8月に宇宙開発委員会が承認し[25]、正式にプロジェクトが開始された。
小惑星サンプルリターン計画と並行して、彗星サンプルリターン計画の検討も行われていた。1987年ハワイにおけるISY会議の席上で、低価格な彗星サンプルリターン計画「SOCCER」の検討をジェット推進研究所 (JPL) とISASとの合同で開始することが決定された。M-Vによる打ち上げや、マリナーMarkII計画の「CRAF」との連携を視野に入れたデルタロケットの使用も検討され[26]1992年ディスカバリー計画ワークショップにおいて提案されるが、採用されなかった。その後、1994年にISASはMUSES-C計画に注力することを決定、SOCCER計画から外れる。その後、JPLによって検討を続けられたこの計画は、「スターダスト」としてディスカバリー計画に採用された[27]
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(2.名前の由来)
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(3.2.目的地の変更)

20. お知らせ (PDF) 」 、『ISASニュース』第51号、宇宙科学研究所、1985年6月、 4頁、 ISSN 0285-2861、2009年12月16日閲覧。
21. “ミッションカレンダー”. JAXA小惑星探査機「はやぶさ」物語. JAXA. 2009年12月16日閲覧。
22. 川口淳一郎. “小惑星探査機「はやぶさ」の研究計画について”. はやぶさ特集. ISAS/JAXA. 2003年10月9日閲覧。
23. 松浦晋也 2005, p. 61.
24. 川口淳一郎「星の王子様とデート - 小惑星ランデブ探査計画 (PDF) 」 、『ISASニュース』第118号、宇宙科学研究所、1991年1月、 20-22頁、 ISSN 0285-2861。
25. 的川2010, 29ページ
26. 上杉邦憲「彗星サンプルリターン - SOCCER計画 (PDF) 」 、『ISASニュース』第118号、宇宙科学研究所、1991年1月、 18-20頁、 ISSN 0285-2861。
27. “1.4 History of the Investigation, Comet Coma Sample Return Plus Interstellar Dust, Science and Technical Approach”. STARDUST: SCIENCE IN-DEPTH. JPL/NASA (1994年10月21日). 2010年8月4日閲覧。

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出典:Wikipedia
2018/06/09 10:00
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2018/06/20 更新
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