ねじれ国会
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1.日本
1.5.実例

昭和20年代[編集]


55年体制以前の参議院では、与党が過半数を占めずに、党議拘束をしない院内会派である緑風会が大きな勢力をもち、しばしば、衆議院可決案を修正および否決し、衆議院とは異なる首班指名をおこなうこともあった。

1989年参院選後[編集]


1989年参院選後では自由民主党が惨敗して参議院過半数を失った。その後、宇野宗佑首相辞任後の首班指名選挙で衆議院は自民党の海部俊樹、参議院は日本社会党土井たか子と、衆参異なる指名になった。首相指名に関する両院協議会が39年ぶりに開かれたものの成案を得るに至らなかったため、衆議院議決優越により海部が首相になった。

その後、12月に参議院で提出されていた消費税廃止法案が自民党が反対するも、野党の賛成多数で可決され、衆議院に送付された。1990年2月、衆議院を通過した1989年度補正予算案が参議院で否決され、予算案をめぐっては戦後初の両院協議会が開かれた。両院協議会で一致しなかったため、衆議院議決優越により政府原案通り成立した。

ただ、自民党は竹下政権の頃から消費税などを巡って民社党公明党との協調路線を強めており、参院選で「一人勝ち」となった社会党への反発は民社・公明の間でも強く、ねじれ国会の下でも、自民党はいわゆる自公民路線という形でそれなりに円滑な国会運営を行うことができた。1990年衆院選で自民党が圧勝したこともあり、参議院も含めた国会運営が与党ペースで進んだということもある。

1998年参院選後[編集]


1998年参院選後では自民党が惨敗して参議院過半数を失った。その後、橋本龍太郎首相辞任後の首相指名選挙で衆議院は自民党の小渕恵三、参議院は民主党菅直人と、衆参異なる指名になった。両院協議会で一致しなかったため、衆議院議決優越により小渕が首相になった。

その後の金融国会では政府が提出した金融再生法案が衆議院で可決されるも、参議院では野党の修正案を提示、最終的には自民党が野党案をほぼ丸呑みする形で成立した。また10月に参議院で防衛庁調達実施本部背任事件をめぐって、額賀福志郎防衛庁長官問責決議が野党の賛成多数で可決され、額賀長官は辞任に追い込まれた。

その後、自民党は自由党自自連立1999年1月)や公明党(自自公連立、1999年10月)との連立を図ることで参議院過半数を確保し、ねじれを解消した。

2007年参院選後[編集]


2007年参院選では自民党が惨敗して参議院過半数を失い、民主党が参議院第1党になった。その後、参議院議長江田五月、参議院議運委員長に西岡武夫が選出され、参議院の議事の主導権は野党が握るようになった。その後、安倍晋三首相辞職後の首班指名選挙で衆議院は自民党の福田康夫、参議院は民主党の小沢一郎と、衆参異なる指名になった。両院協議会で一致しなかったため、衆議院議決優越により福田が首相になった。

その後、

自民党が反対する年金保険料流用禁止法案の参議院可決、衆議院への送付
守屋武昌防衛事務次官に対する証人喚問を参議院で実施
補給支援特別措置法案、改正道路財源特例法案などの参議院否決またはみなし否決と、51年ぶりの衆議院再議決権の行使による法案成立
国会同意人事の参議院不同意による戦後初の日銀総裁空席
財務省や金融庁の権限が一切書かれていない道路整備事業特別措置法を、野党主導の参議院財政金融委員会に付託
後期高齢者医療制度廃止法案を野党主導の強行採決で参議院可決
暫定税率法案の吊るしと再可決によるガソリン代の乱高下
参議院での福田首相・麻生首相に対する問責決議案可決[23]
などが起こっている。

福田は、衆参ねじれへの対策として民主党との大連立を打診、民主党の小沢一郎代表との間で一度合意するも、民主党内の猛反発により実現せず、却って与野党の対立姿勢を強める結果となった。結局ねじれによる国政運営の困難を理由に、福田は2008年9月に首相を辞任。これを受けた首班指名選挙では再び衆議院が自民党新総裁の麻生太郎、参議院が小沢を指名、両院協議会の不一致を経て麻生が首相となった。2009年7月には、東京都議選における自民党の惨敗を受けて、民主党などが衆議院に内閣不信任決議案、参議院に麻生首相に対する問責決議案を提出、それぞれ否決・可決された。

直後の2009年衆院選によって参議院多数派勢力である民主党を中心とした連合が衆議院で過半数の議席を獲得し、政権与党となったことで、ねじれは解消された。

2010年参院選後[編集]


2010年参院選の結果、民主党は改選議席数を減らして敗北、自民党が改選第1党となった。この結果、連立与党である国民新党を加えても参議院における過半数を下回ったことで、再びねじれ状態となった。与党が過半数を割る一方で野党も国会召集日までに過半数勢力を結集できず、法的な議事運営権をもつ参議院議長は与党民主党、議事運営のスケジュールを調整し議長はその具申に従うことが慣行とされてきた議運の委員長は野党自民党から選出されるという、近年例のない形となった。この結果、民主党の有力支援団体である日本教職員組合が強く求めてきた教員免許更新制の廃止を断念するなど、与党が重要法案と位置づけてきた多くの法案審議スケジュールに影響が出ることとなった[24]

ここで生じたねじれは、2007年のそれとは異なり、現状の連立与党では衆議院での再可決が不可能であり、円滑な国会運営のためには、連立の組み替えも含めた野党との連携が必須となっている。しかし、1989年や1998年とも異なり、選挙で野党と全面対決して敗北した菅直人首相が続投したままであり、首相交代による仕切り直しを経ていないため、対決姿勢を崩していない野党との連携も困難を極めた。特例公債法案やエネルギー関連法案も野党ペースで修正されて可決された後に菅直人は首相を退陣した。

2011年に誕生した野田政権はねじれ国会下の政界を「決められない政治」とし、「決められる政治」への脱却を目指した。2012年には自民党・公明党との三党合意により、社会保障と税の一体改革関連法案(消費税増税法案)を可決成立した。なお、この際に「近いうちに衆議院解散」の言質を取られ、2012年11月に衆議院を解散した。

2012年衆院選後[編集]


2012年衆院選の結果、自民党が圧勝して自公連立で衆院の3分の2を占めるに至った。だが、2010年参院選では民主党側も自民党側も参院過半数を占めてはいなかった。そのため、引き続きねじれは解消していない状態であった。

参議院では人事官や会計検査官の同意人事が否決されたり、川口順子参議院外務委員長への解任決議が可決されたり、安倍晋三内閣総理大臣への問責決議が可決されたり、衆議院定数是正法案が参議院で可決されず衆議院可決から60日経過後にみなし否決された後に衆議院で再可決したりしている。

その後、2013年参議院選挙において、自民党が改選121議席の過半数を上回る65議席を獲得。公明党との連立与党全体で見ても76議席を得たため、非改選を含む全体で与党が135議席を獲得したことで、2010年以来のねじれ解消が確定した[25]

以後の衆院選(2014年2017年)・参院選(2016年)でも安倍自民党の圧勝は続き、その後もしばらくはねじれの状態にはなっていない。しかもこの「安倍1強」と呼ばれる状況下にあって、2017年の衆院選をきっかけに野党第一党の民主党改め民進党が分裂し、衆院では立憲民主党が第一党の座を獲得したのに対して、参院では民進党(のち旧希望の党を吸収合併して国民民主党に改称)会派が最大勢力であり、時には路線の違いにより立民・国民2党間が対立することもあるため、むしろ野党の状況は、ねじれ状態の前提となる「政権交代可能な2大政党」の一翼からは程遠い状態となっている。このように野党間で衆院第一党と参院第一党が異なり足並みの乱れが生じている現象を、前述した本来の意味に例えて「野党内ねじれ国会」と評する記事も見られる[26][27]

しかし、その後立民は民進からの離党者などを取り込んで人数を増やし、2018年10月17日には旧民進系無所属・野田国義の会派入りにより国民と同数の24に並んだ[27]。19日には国民の長浜博行元環境相が離党届を提出したことにより、立民が衆参ともに野党第1会派になる"ねじれ解消"の見通しとなった[27]

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(1.4.制度改正によるねじれの弊害の解消論)
[6]次ページ
(2.日本国外の例)
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出典:Wikipedia
2019/05/17 14:30
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