癲癇の治療手段としての絶食・断食についての研究は、1911年にフランスで行われている[28]。あらゆる年齢層の癲癇患者20人に対し、摂取エネルギーを低くした菜食、断食、そして、(下剤による)腸内の異物除去を組み合わせることで、「解毒」できたという。被験者のうちの2人には有益な効果が見られたが、課された制限を順守できた者はほとんどいなかった。臭化カリウムは被験者を悄然とさせたのに対し、食事療法は被験者の意思能力を改善させた[29]。
このころ、アメリカ合衆国における身体鍛錬の象徴的存在であったベルナール・マクファデン( Bernarr Macfadden )は、身体の健康のために断食を普及させた。マクファデンの教え子で、ミシガン州バトルクリーク在住のヒュー・ウィリアム・コンクリン( Hugh William Conklin )は、癲癇患者の治療に断食を取り入れ始めた。腸内のパイエル板( Peyer's Patches )から毒素が分泌され、それが血中に放出されたときに癲癇の発作が起こるのではないか、とコンクリンは推測した。この毒素を消滅させる目的で、コンクリンは患者に18〜25日間の断食の継続を奨めた。コンクリンはかなりの数の癲癇患者を『水断食』( WAter Diet )で治療した。子供の癲癇患者の90%はこれで治癒できたが、成人の患者では50%に下がった。その後、コンクリンによる患者の症例記録の分析では、患者の20%は発作から解放され、50%はいくらかの改善が見られた[30]。コンクリンが行っていた絶食療法は、開業した神経内科医に採用された。
1916年、T・E・マクマリー( T. E. McMurray )は、『ニューヨーク・メディカル・ジャーナル』( The New York Medical Journal )に、「1912年以降、断食療法で癲癇治療に成功し、その後はデンプンや砂糖を加えない食事を処方している」と記述している。1921年、内分泌学者のヘンリー・ロウル・ガイエレン( Henry Rawle Geyelin,1883〜1942 )は、アメリカ医師会( American Medical Association )が開催した定期学術集会に出席し、自身の経験を報告した。ガイエレンは、コンクリンによる癲癇治療の成功を目の当たりにしたことで、自身の患者36人で試した。短期間ではあったが、同様の結果になったという。1920年代に行われた更なる研究では、癲癇の発作は断食後に再発することがあるという。
コンクリンによる絶食療法で癲癇治療に成功した患者の1人で、ニューヨークの顧問弁護士、チャールズ・プレンティス・ハウランド( Charles Prentice Howland, 1869〜1932 )は、自身の弟、ジョン・エライアス・ハウランド( John Elias Howland. 1873〜1926 )に、『The Ketosis of Starvation』(『絶食状態におけるケトーシス』)を研究する資金として5000ドルを贈った。ジョンズ・ホプキンス病院( Johns Hopkins Hospital )の小児科の教授でもあったジョンは、兄から贈られた資金を、神経内科医のスタンリー・カブ( en:Stanley Cobb, 1887〜1968 )とその助手、ウィリアム・ゴードン・レノックス( en:William Gordon Lennox, 1884〜1960 )が行っていた研究のために提供した[30]。